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阪急高槻市駅を下車し、駅前から延びる「城北通り」を高槻城址に向かって歩いていた。 駅から5分ほど歩いたところに瀟洒なドームの聖堂が建っていた。 聖堂前庭には、ひざまついて祈りを捧げる高山右近の像が建っていた。 更に5分ほど歩くと、野見神社社頭に着いた。 宇多天皇の御世、当地方に悪病が流行し、牛頭天王を祀ったのが始まりと伝えられる神社だ。 長く地元の崇敬を集めていたが、キリシタン大名・高山右近が高槻の城主になると、社領が没収され、 時の神職が御神体を石清水八幡宮に避難させたという。 江戸時代に再興され、明治時代に入ると、牛頭天王は須佐之男命に名を変え、更に野見宿祢命を合祀し、 野見神社と改称した。 これらを見ると、高槻がキリシタン大名・高山右近(1552?〜1615)所縁の地であったことを実感する。 高山右近は1615年(元和元年)追放先のマニラで生涯を終えた。 その地であるマニラ郊外アンティポロにある聖母大聖堂を模して造られたもの。 台座には「高槻城主 エスト高山右近之像」と刻まれている。 江戸幕府の禁教令により慶長19年(1614)マニラに追放され翌年死亡した。 祭神;須佐之男命、 野見宿祢命 野見神社摂社 寛政5年(1793)9代藩主永井直進(ナオノブ)が創建 唐門は嘉永元年(1848)11代藩主永井直輝が造立 祭神:初代藩主永井直清 拝所を嘉永元年(1848)11代藩主永井直輝が造立 |
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