|
神峯山寺(カブサンジ)の仁王門をくぐり、真直ぐ北に進み、高台にある、本堂、開山堂、観音堂などの諸堂 宇を巡った。 神峯山寺(カブサンジ)は山号を根本山(コンポンザン)と号し、毘沙門天を本尊とする天台宗の寺院である。 寺伝によれば文武天皇1年(697)修験道の祖と言われる役行者(役小角)が開山し、宝亀元年(774)光仁天皇 の命により開成皇子が中興したといわれる。 光仁天皇の勅願寺となって以来、皇室の崇敬も篤く大いに栄え、かっては僧坊21、寺領1、300石に及ん だと言う。 しかし、江戸時代中期の明和2年(1765)火災で焼失し、安永6年(1777)再建された。 現在は宝塔院(本坊)、寂定院、龍光院の3院となっている。 観光寺院化していないこの山岳寺院の境内には、緑深い山の空気に満たされていた。 参拝者の姿はあまり見かけず人声も聞こえないが、ツクツクボウシの鳴き声が煩かった。 本尊:毘沙門天立像(秘仏)、 御前立毘沙門天立像 阿弥陀如来坐像(重文) 聖観音菩薩立像(2体 共に重文)等 を安置する 本堂に向かって右横に、少し離れて建っていた。 本堂の横にtっており 平安時代作と表示してあった。 開山役行者が手植えしたと伝えられる霊木 本堂前に生えていた。 役行者像(秘仏)を安置する。 観音堂には 十一面観音像 説法使者像を安置する 新西国観音霊場第14番札所 石造十三重塔は光仁天皇の分骨を納めると言う。 観音堂近くに置かれていた地蔵像 境内には、幾つかの観音像や地蔵像が置かれていた 寺伝によれば、役行者が神峯山に入った際、金毘羅童子がこの滝から現れたという。 滝左上に金毘羅権現(水神)を祀る祠があった。 神峯山寺に伝わる「神峯山寺秘密縁起」によると、 役行者が文武天皇1年(697)、葛城山で修業していると、北の方の山並みから光を射すのを見出した。 早速その光を求めて山に分け入ると、そこが神峯山であった。 神峯山に至った役行者の前に、金毘羅童子(水神)が九頭龍瀧から現れ、この地に伽藍を建てることをすす めた。 さらに、童子は霊木で4体の毘沙門天像を刻んだ。 すると、その内の3体は山背の鞍馬寺と、大和の信貴山、神峯山北の峯(現在の本山寺)へ飛び去った。 動かずに残った1体の毘沙門天を神峯山寺の本尊として祀ったという。 この本尊は霊木の根元部分を刻んで造られたことから、山号は根本山(コンポンザン)である。
|
摂河泉風土記
[ リスト ]



