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再び油小路通りを南に下る。 蛸薬師通りとの交差点の西南角に空也堂があった。 この寺は、山号を紫雲山と号し、光勝寺極楽院という天台宗の寺である。 空也上人を本尊とするため「空也堂」と呼ばれている。 また、中世から時宗の寺であったが明治初に天台宗の寺になったそうである。 天慶2年(929)空也上人の開創といわれる。 当初は三条櫛笥(クシゲ)にあったので櫛笥道場とも市中道場ともいわれた。 応仁の乱で焼失したが、寛永年間(1624〜1644)現在地に再建された。 空也は鉦をたたき念仏を唱えて全国行脚し、仏教を庶民改装に布教する傍ら、橋を架け、道路や井戸を整 備し、野にある死骸を火葬して荼毘に付すなど社会事業を行った。 そのため空也は市聖とか阿弥陀聖と称され、後の一遍をはじめとする布教僧に大きな影響を与えた。 毎年11月第二日曜日に、空也上人を偲んで開山忌(空也忌)の法要が行われる。 その際六斎念仏焼香式が奉修されるが重要無形民俗文化財になっているそうである。 庫裏を本堂(空也堂)とし、地蔵堂と、他石碑石仏塔が塀際に並べられているぐらいの閑散とした境内で あった。 門前向かって左側に「くうやどう」の寺標が建っていた。 前に「市中道場」の碑が建つ。 本尊:空也上人自作といわれる空也上人立像 第二次大戦中建物強制疎開により本堂が取り壊しされ、以降庫裏が本堂(空也堂)となっている。 |
京洛逍遥
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