ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

東海紀行

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5月下旬の平日、名古屋8:43発の特急ひだ3号に乗った。

列車は岐阜で前後の進行方向を変え、高山線に入り、飛騨川に沿って山並みを縫うように走る。

新緑の山肌と飛騨川の奇岩の連続に眼を奪われているうち、10:55高山に着いた。

天気は生憎と曇り空だ、しかも雨が降り始めてもおかしくない。

天気予報では、時々小雨となっていたからある程度覚悟していた。

JR高山駅から徒歩5分ほどのところで、古民家や商家が並ぶかの有名な伝統的建造物保存地区へ行く途中

のところにある飛騨国分寺に足を運んだ。

京都や奈良の大寺を見慣れた者にとっては質素と思える表門(山門)、その先奥に鐘楼門、大いちょう、本

堂があり、左手に庫裏、右手に三重塔が建つというのが主な伽藍配置の様だ。

門の右手前には、庚申堂、六地蔵があった。

また、門を潜ると、参道の脇に白真弓肥太右衛門の墓、不動明王堂があった。

山門の奥、境内のほぼ中央に建つ鐘楼門は、今は城山にわずかな石垣を残す高山城の城門を移したもの

で、天領以前の領主・金森氏の面影を残すわずかな建物の一つだった。

いつ来ても観光客が多いと感じる小京都・高山だが、それは限られた所だけの事らしく、境内には観光客

らしい姿は見かけなかった。




イメージ 1 飛騨国分寺
山号は医王山 高野山真言宗の寺
門前の寺号石は享保3年(1728)建立
向って右側に庚申堂、六地蔵がある。
門前のピンク色の花木はハナミズキ。



イメージ 2 庚申堂
庚申堂の向かって右側に
石造「願掛け撫でさるぼぼ」、
左側に
さるぼぼの納め掛けがあった。




イメージ 3 石造六地蔵




イメージ 4 表門(山門)
元文4年(1739)再建
飛騨代官の手代小林義右衛門ら4名の寄進により飛騨の名工・松田右衛門が建てた。
昭和53年(1978)板葺を銅板葺に改めた。




イメージ 5 不動堂
石造不動明王像を安置



イメージ 6 白真弓の墓
白真弓は白川郷木谷部落出身の幕末の力士。
嘉永7年(1854)米ペリー提督が二度目に横浜に来航した折、力士たちが薪、米穀、水の供給運搬奉仕した。
この時、白真弓は背に米4俵、胸に2俵、両手に1俵づつ、計8俵を運び、アメリカ人を驚かした。
明治元年(1868)11月9日病没 享年41歳
背後の白い花はハナミズキ



イメージ 7 鐘楼門
重層入母屋六脚門
飛騨が天領になり、取り壊された高山城の城門を元禄8年(1695)移築したもの。
昭和30年(1955)杮葺を銅板葺に改めた。
梵鐘:永正11年(1514)の古銘があり、もとは吉城郡荒城郷三日町(現国府町三日町)の十王堂の鐘であった。
宝暦11年(1761)改鋳して当山に寄進された。
背後の大イチョウが綺麗な若葉を出していた。

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