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上野動物園入り口辺りをぶらぶらしていたら、茂みの中に大きな石燈籠が覗いていた。 寛永8年(1631)信濃国川中島の領主佐久間勝之が寄進したという、東照宮の「お化け燈籠」だ。 これに魅かれて上野東照宮を参拝した。 東照宮へは直近では平成11年の2月ごろ冬牡丹を見に来たことがあるが、その頃は社殿の修理工事をして おり、社殿は素屋根ですっぽり覆われていた。 上野東照宮は、藤堂高虎(1558〜1630)が上野山内の屋敷の中に、徳川家康を追慕し、家康を祭神とする宮 祠を造った。 これが上野東照宮の創建と言われている。 もとは「東照社」と称していたが、正保2年(1645)に宮号宣下があり、それ以後家康を祀る神社を東照宮 (日光および各地の東照宮と区別する為上野東照宮)と呼ぶようになった。 現在の社殿は、慶安4年(1651)3代将軍家光が大規模に造り替えたもので、数度の修理を経ているがほぼ当 初の姿を今に伝えると言われており、華麗荘厳な建物である。 参道が唐門、社殿に向かって一直線となっていた。 周囲に大名が奉納した、石燈籠、銅燈籠が並んでいた。 社殿に向かう途中、参道右手に建っていた。 明治7年(1874)深川木場組合が建てた。 屋根の勾配の美しさは都下随一と言われているそうだ。 社殿に向かう途中、参道右手に建っていた。 水屋には狛犬の名工・酒井八右衛門寄進の鈴が吊り下げられていた。 傍の説明板によれば、酒井八右衛門は「井亀泉(セイキセン)」の名で江戸三大石匠と呼ばれ、江戸時代から昭和初期まで十代に渡り多くの石造物を残した。 鳥居や狛犬などには「酒井八右衛門」、墓碑や顕彰碑には「井亀泉」の銘を刻んだ。 鈴の来歴は不明であるが、昭和30年(1955)頃珍品であるため、人目につくところにとこの水屋に付けられたとのことであった。 唐門と透塀 参道の奥に唐門、左右に透塀が建っていた。 透かし塀越しに拝殿が覗いていた。 東照宮には銅燈籠が50基(重文)あるが、唐門両側の6基は徳川御三家(紀伊、水戸、尾張)より寄進されたもの。 唐 門 慶安4年(1651)建立 唐破風造りの四脚門 重文 日本に一つしかない金箔の唐門。 扉には梅に亀甲の透彫、円柱には左甚五郎作昇竜(右)・降竜の高彫、 門の側面左右上部の松竹梅に錦鶏鳥の透彫など、非常に精巧を極めている。 左甚五郎の竜の彫刻は毎夜不忍池の水を飲みに行ったという伝説がある。 また、偉大な人ほど頭を垂れるという諺に由来して頭が下を向いているものが昇り竜と呼ばれている。 唐門前に一対の狛犬が置かれている。 背後の銅燈籠は大名が寄進したもの(重文)。 拝 殿 慶安4年(1651)建立 重文 奥には幣殿ー本殿と続く。 祭神:徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜 内部の東照宮額は後水尾天皇の真筆で純金、壁画は狩野探幽作で桃山期の豪華雄大な画風の唐獅子が描かれている。 社殿は都内でも代表的な江戸時代初期の権現造りで、華麗荘厳を極めている。 案内図 |
関東紀聞
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