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本堂東から西に眼を転じる。 本堂西側の広場北側に、即ち山側に、三仏堂(重文) 渡廊下に続いて護法権現社拝殿がならび、少し離れ た広場の西の高台に鐘楼(重文)が建っていた。 永正13年(1516)の兵火で焼失後、三仏堂、護法権現社拝殿は永禄年間(1558〜70)に、鐘楼は慶長13年(160 8)に再建されたものである。 何れも入母屋造、檜皮葺 丹塗りで、周囲の緑に映えて美しい。 本堂西南端先からの境内の風景 本堂から渡り廊下で結ばれて三仏堂ー渡り廊下ー護法権現社拝殿と建物が連なる。 少し西の高台に鐘楼(重文)が建ち、その北(写真では三仏堂屋根の西)に修多羅岩(セウタライワ)が覗いている。 三仏堂は元暦元年(1184)佐々木義秀の菩提を弔うため、その子定綱が造立したと伝え、永正13年(1516)の兵火で焼失した後、永禄年間(1558〜70)に再建されたものと考えられている。入母屋造、檜皮葺 重文 護法権現社拝殿は永禄8年(1565)の墨書銘があったと言われており、形式技法から見てもその頃の建立と考えられる。 入母屋造、檜皮葺。北側高台に(写真では隠れている)本殿がある。 渡り廊下も拝殿と同じ頃の建築と見られている。 三仏堂三尊 三仏堂の祭壇に安置されている三仏像、左から釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来 三仏堂から渡廊下に行く途中にある小さな祠 護法権現社拝殿から三仏堂へ続く渡り廊下は桁行・梁間一間、檜皮葺の小規模な建築物であるが、三仏堂側に唐破風を付けている。 聖徳太子が当寺草創の時、 武内宿禰(タケノウチノスクネ)の霊を勧請し、 長命寺の御法神として祀った。 建物は江戸時代後期の再建と見られる。 向って右隣に天神社の祠が建つ。 入母屋造 檜皮葺 重文 慶長13年(1608)再建の上棟用の木槌に墨書されている。 昭和49年(1974)部分修理が行われた。 他の諸堂と共に重要な伽藍の一つで、寺観を整えている。 一重二重ともに三手先組物を備える本格的建築。 概ね和様を基調としているが、妻飾や懸魚の形は禅宗様を取り入れている。 吊り下げられている梵鐘は、鎌倉時代のもの。 琵琶湖の竜神が長命寺の観音に捧げたという伝説があるそうな。 撞いてみたところ、長生きできるような気にさせる良い響きがした。 鐘楼の西隣、同じ高台に建つ。 勝運将軍地蔵尊、智恵文殊菩薩、福徳庚申尊を祀る。 |
近畿紀聞
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