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鐘楼、如法行堂の高台から更に境内西に進むと、荼枳尼天尊堂(稲荷大明神)、太郎坊権現社があった。 荼枳尼天尊堂(稲荷大明神)は、小さな檜皮葺の社であるが、屋根に一円玉がぎっしりと差し込まれてい た。 何か謂れがあるならいざ知らず、奉納のつもりであれば罰当たりなことをするものだと思わずにはいられ なかった。 太郎坊権現社は天文年中(1532〜1555)当山の普門坊が京都の愛宕山から勧請したと言われる。 拝殿から本殿に向かう急峻な石段の左右に「飛来石」と言われる大石が今にも拝殿に転がり落ちそうで あった。 しかし、拝殿前から眺めは近江平野が一望できる絶景であった。 ところで長命寺は、景行天皇の御代に武内宿禰(タケノウチノスクネ)がこの山を拓き、柳の巨木に「寿命長遠諸願 成就」と刻み、長寿を祈願したのがはじまりと伝える。 本堂の東縁先には武内宿禰大臣の足跡と言われるものがあり、その北の斜面に長寿武内宿禰大臣が長寿を 祈願したと言われる六処権現影向石、鐘楼の北側上方斜面に長寿大臣武内宿禰大将軍の御神体修多羅(スタ ラ)石があり、開闢(カイビャク)長寿武内宿禰大臣は、案内リーフレットやパンフレットに単に記しているだけ でなく、ここではもっと強く信仰されていることが分かった。 商売繁盛の仏神 覆堂の中に小さな社があった。 屋根に一円玉がぎっしりと差し込まれていた。 奉納のつもりであろうか? 大天狗の太郎坊を祀り「魔除けの天狗さん」と親しまれている。 修業を極め霊力を得た太郎坊が京都の愛宕山から飛ばしたという「飛来石」が拝殿から本殿に向かう石段左右にある。 天文年中(1532〜1555)当山の普門坊が京都の愛宕山から勧請 拝殿前からの眺望 眼下の琵琶湖、近江平野の眺めは絶景であった。 本堂東側縁先にあった。 本堂東北山斜面にあり、天地四方を照らす霊石 当山開闢(カイビャク)長寿武内宿禰大臣この聖地にて祈願し300年以上の長寿を全うした、と伝えられる。 鐘楼の北側上方斜面にある霊石 修多羅(スタラ)とは仏教用語で天地開闢、天下泰平、子孫繁栄をいい、 封じて当山開闢長寿大臣武内宿禰大将軍の御神体である。 因みに、武内宿禰(「古事記」では建内宿禰)は大和朝廷初期に活躍して伝説上の人物。 「記紀」によれば、第8代孝元天皇の孫あるいは曾孫で、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五代の天皇に 二百数十年間仕え、神功皇后の新羅征伐に従事した。 葛城(カツラギ)、巨勢(コセ)、平群(ヘグリ)、蘇我(ソガ)、紀氏など28氏の祖とされる。
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近畿紀聞
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