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京都御所の東北、猿ケ辻から南に広い通りが南に通じている。 西側が京都御所、東側には京都迎賓館を取り囲むように樹木が植えられている。 そこには、和宮の実家・橋本家跡、学習院跡、藤原良房の染殿第跡、道長の土御門第跡と言われる場所が あるが、木々の間に標柱が建っている位で、それを偲ぶ遺構は何もなかった。 案内図 片手に歩いていると、バードウオッチングしている人を多く見かけた。 最後は大宮御所北側から京都御所の南、建礼門前に出た。 京都御所と京都迎賓館の間辺り。 孝明天皇の妹・和宮親子(チカコ)内親王は橋本実久(サネヒサ)の娘・典侍の経子(ツネコ)を母として、弘化3年(1846)橋本家で生まれ、14年間養育された。 橋本家跡の南辺りに学習院跡である。 学習院は、公家、御所に勤める役人たちとその子弟を対象とした学問所で、弘化4年(1847)開設された 学問所の建春門よりのところにサクラマツが生えていた。 松の倒木に山桜が生えているものだ。 もともとはクロマツの樹上10数mのところにヤマザクラが生育していたもの。 平成8年(1996)松が枯れ倒れてしまったが、桜は地上まで根を下ろしていたので今も生育し、春には花を咲かせているという。 京都迎賓館の東側にある古井戸 この辺りは、平安時代前期、臣下として初めて摂政に任じられ、この後摂関政治の礎を築いた藤原良房の染殿第があった場所とされる。 それに因んで染殿井と呼ばれている。 因みに清和天皇が譲位後、ここに移り「清和殿」と称したことから、この近くの御苑の門を「清和殿御」と名付けられている。 清和殿御門の西、藤原道長の邸・土御門第跡辺りから西を望む。 奥(西)に京都御所、左(南)側に大宮御所の築地塀が続く。 京都御所東側にある門 京都御所の正門建礼門の東側にある通用門(穴門)。 (案内図 には表示されていない) 築地塀のくぐり戸のような門は通用門で、穴門とも呼ばれ、御所の周囲に13箇所ある。 ただし、名前がついている通用門は道喜門だけである。 道喜ー川端道喜は、応仁の乱後朝廷が困窮している時から天皇の食事「お朝物」献上し、東京に移るまで約350年間続いたと言われる。 初代道喜は資材を投じて築地塀の修理もしたと言われる。 道喜門は道喜出入りの門であった。 京都御所南側にある門で正門 東側に通用門である道喜門がある。 |
京洛逍遥
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