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ふたたび京都御苑の北部分に移り、御苑の西側を探索しながら南に下っていた。 手元に京都御苑案内図と共に、幕末の京都御所周辺図と見比べながら、場所を確認していった。 京都御所の北西には五摂家の一つ一條家邸宅跡があり、その名残の縣井があった。 京都御所の西南角には「清水谷家の椋」と呼ばれる大きな木が生えており、公家屋敷のあった名残だ。 続いて桃林、梅林が続き、東側に白雲神社が鎮座していた。 これは、この辺りにあった西園寺家邸宅内の社だったものだ。 なお、解説板によれば、梅林辺りは、藤原道長が次女研子の里邸として整備し、御所の内裏炎上の際は裏 内裏ともなり、寛弘6年(1009)には一条天皇が遷ったとされる琵琶殿跡という。 勿論当時を伝えるものは何もなかった。 五摂家の一つ一條家の敷地内にあった井戸。 一條美子(ハルコ 明治天皇の皇后)の産湯もこの井戸水が使われたという。 昔、この井戸のそばに縣宮という社があり、地方官吏として出世を願う者は、この井戸の水で身を清め祈願し、宮中に上ったという。 大和物語では病気を治す水とも紹介されている。 京都御所の西面は南から宜秋門、清所門、皇后門の3門がある。 京都御所西南辻に生えている椋の巨木。 清水谷家という公家の屋敷が、この辺りにあったことから「清水谷家の椋」と呼ばれている。 元治元年(1864)の禁門ノ変の時、長州尊王攘夷派の一つ・遊撃隊の総督来島又兵衛がこの木付近で討死したと言われている。 一部は咲いていた。 花の少ない時期に彩りを添えていた。 祭神:市杵島姫命(妙音弁財天) この辺りの西園寺家邸にあったが、西園寺家が東京に移った後も残り、明治11年(1878)白雲神社と名を改めた。 西園寺家は琵琶の宗家でもあり、鎌倉時代西園寺公経(キンツネ)が今の金閣寺の地に別荘北山第を造った際、妙音天あるいは妙音弁財天と言われる音楽神を祭る妙音堂を建てたと言われる。 明和6年(1769)現在地に移された。 絵馬殿に掲げてあった絵馬の一つ 明治26年(1893)1月奉納されたもの。 絵柄は消防団の出初式の模様であろうか? |
京洛逍遥
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