ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

京洛逍遥

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梅林から更に南に下ると、出水の小川が流れていた。

京都御苑内で一般に公開されている場所で、水が流れているのはここだけだ。

この辺りには桜が多く植えられているので、花の季節になれば見ごたえがあることだろう。

周辺の、賀陽宮邸跡に建つ貽範碑、花山院邸にあった宗像神社、標柱だけの鷹司邸跡と見て回った。


イメージ 1 出水の小川
京都御苑内の西南近くに流れる約100mの小川。
琵琶湖疏水の水を導水した「御所水道」の水を利用して、昭和56年(19819造られた小川。
平成4年(1992)御所用水閉鎖に伴い、地下水を循環濾過して流れを維持している。




イメージ 2 貽範碑
出水の小川から園路を渡った東側に建つ。
この辺りは賀陽宮邸跡である。
伏見宮邦家親王第四王子朝彦親王は青蓮院門跡、天台座主をつとめたが、孝明天皇の信任厚く、還俗して中川宮と称して天皇を助けた。
その後、邸内の庭にあった榧(カヤ)の巨木に因み賀陽宮と称した。
彼の公武合体策は尊王攘夷派から敵視され、明治維新後広島に移った。
朝彦親王第四王子梨本宮守正王らにより昭和6年(1931)貽範碑が建てられた。




イメージ 3 宗像神社社頭
社伝によれば、延暦14年(795)桓武天皇の命により、藤原冬嗣が筑紫より勧請して創建した。
この辺りは、明治維新まで花山院家の邸内で、その邸内にあったが、邸宅が廃された後は神社のみ残った。、





イメージ 4 宗像神社社殿
祭神:宗像三女神
 (多紀理姫命、市杵島姫命、多岐津姫命)
宗像三女神は別名「道主貴(ドウヌシノムチ)」と言われ、すべて道を司る神の尊称である。
交通運送の神、出産生産産業の神、文化の神として信仰されている。
現在の社殿は安政年間(1854〜1860)に再建されたもの。




イメージ 5 京都観光神社
境内社としては花山稲荷社、少将井社、繁栄稲荷社、金刀比羅宮および本社があった。
京都観光の振興を願って猿田彦大神が祀られている




イメージ 6 鷹司邸跡
かっては堺町御門を入って左側に鷹司邸があった。
今は巨木の元に標柱が立つのみであった。
鷹司家は近衛家から分かれた五摂家の一つ。
幕末政通(マサミチ)は30年以上も関白を務め、九條尚忠(ヒサタダ)へ譲った後も、内覧、太閤として朝廷で重要な役割を担った。
また政通の夫人は水戸藩主徳川斉昭の姉である。
元治元年(1864)禁門の変では、長州藩士が邸内に入り、屋敷に放った火は長州藩邸の火とともに、どんどん焼けと称する京都大火につながった。
久坂玄瑞、寺島忠三郎らはここで自刃した。



京都御苑案内図はここ をクリック。
表示された案内図にポインターを当て、クリックすると拡大された図が表示される。

幕末の京都御所周辺図はここをクリック。


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