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わらわがすみかも他ならず あの石塔こそすみかにてさむらへ。 不思議やなあ、あの石塔は和泉式部の御墓とこそ聞きつるに、そもすみかとは不審なり。 ( 伝世阿弥 謡曲「誓願寺」) 誓願寺から新京極通りを少し南に下ると、見落としそうな小さな寺の表門があった。 中に入ると、境内は思ったより広い。 ここが才色兼備で平安時代の代表的歌人・和泉式部が結んだ庵・誠心院である。 正しくは華嶽山東北寺誠心院(以前「ジョウシンイン」と言ったが前住職の頃から「セイシンイン」と呼ばれている)とい う真言宗泉涌寺派の寺院で、通称「和泉式部寺」の名で知られている。 寺伝によれば、関白藤原道長が娘の彰子(ショウシ 一条天皇中宮)に仕えていた和泉式部の為に、法住寺東北 院内に「小御堂」という一庵を建立し与えたのが当寺の起こりとされる。 当初、御所の東(荒神口の辺り)にあったが、鴨川の氾濫などにより一条小川(上京区)に移転した。 天正年間(1573〜1591)豊臣秀吉の命で現在地に移った。 明治5年(1872)京都府知事の命令で新京極通りがとおされ、現在に至っている。 境内には謡曲「誓願寺」に語られている和泉式部の墓という宝篋院塔があった。 新京極通りに西に面して焦点に挟めれた様に山門がある。 右前には鈴成り輪が置かれており、 通路の内側に和泉式部縁起絵巻の絵の部分のレプリカをパネルにして展示してあった。 門の前に置かれている。 お経を刻んだ石の輪を廻すと功徳が得られるらしい。 「小御堂」とも呼ばれ、本尊阿弥陀如来像、和泉式部像、藤原道長像を安置している。 和泉式部塔 高さ約4m、幅約2.4mの宝篋院塔。 正和2年(1313)改修建立されたものという。 謡曲「誓願寺」に出てくる石塔はこれに当たるのであろう。 背後には阿弥陀如来と25菩薩の石像が並んでいた。 和泉式部縁起絵巻(下巻 五) 山門の通路の内側に和泉式部縁起絵巻の絵の部分のレプリカをパネルにして展示してあった。 和泉式部縁起絵巻は江戸時代に作られ、上下の二巻からなる。 上巻は和泉式部が京を旅立つ場面から往生するまでの7場面、下巻は一遍上人へのお告げから和泉式部が歌舞の菩薩となって来迎するまでの6場面を描いている。図は冒頭に記した場面、和泉式部の塔が描かれている。 |
京洛逍遥
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