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旧明倫館小学校の構内周辺にある藩校「明倫館の遺構を見て回る。 北側に廻ってみると、自然石を使った大きな碑が3基並んでた。 その西側には藩校のものとして残っているのは我国唯一という水練池があり、そん傍に聖賢堂があった。 柵越しに明倫小学校の新しい校舎が陽を浴びていた。 吉田松陰は山鹿流兵学師範として天保10年(1835)10歳から20歳まで旧明倫館で、嘉永4年(1851)22歳までここ新明倫館で教授した。 昭和33年(1958)松陰没後百年を記念して建立 「美挙鴻徳」碑(左) 村田清風(1783〜1855)は13代藩主毛利敬親の元で藩政改革、特に財政改革に努めた。 また、教育普及にも力を注ぎ、その一環として、嘉永2年(1849)新明倫館を完成させた。 周囲を玄武岩の切石で築いてある。 東西39.5m、南北15.5m、深さ1.5m 現在東側と南側に池に下りる石段が設けられているが、古図では東側の中央から騎馬で池に駆け降り易い様、斜面になっており、また石段の位置も違っている。藩政時代ここで遊泳並びに水中騎馬が行われた。 藩校の水練池が我国に現存する唯一のもの。 明倫館の聖廟前観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構。 明倫館は廃校後、両塾あわせて1棟とし、市内東田町の阿呼神社境内に移築されていた。 大正7年(1918)再び元の地の明倫館址へ移築された。 吉妻造起り屋根桟瓦葺 大棟の両端には一文字三星の毛利家家紋の鬼瓦が載せてある。 案内図 |
山陰紀行
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