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萩城下町のメインストリート御成道から折れて○○横丁と呼ばれる小路に入ると、白漆喰の築地塀、ある いは漆喰壁と下目板壁の萩藩中級武士の屋敷が続く。 まるでタイムスリップしたか、テーマパークに入った様だ。 中には、高杉晋作の生まれた屋敷とか、桂小五郎(木戸孝允)の生まれた屋敷があり、小路を歩いている と、今にも彼らが姿を現しそうだった。 菊屋横丁 入口に豪商菊屋があるから菊屋横丁と呼ばれる。 天保10年(1839)8月20日萩藩士高杉小忠太(200石)の長男としてここで生まれた。 もともとは約500坪あったが現在は南半分が残る。 庭、鎮守、産湯に使った井戸などが残っていた。 傍に「東行先生初湯之井」と刻んだ碑が建っていた。 高杉家旧宅からほんの少し南へ下った所に「晋作広場」がありそこに建てられていた。 安政4年(1857)松下村塾入門 安政5年(1858)江戸遊学 文久2年(1862)上海視察 同 12月12日品川御殿場英国公使館焼き討ち 文久3年(1863)3月剃髪し「東行」と号する。 同 6月奇兵隊結成 元治元年(1864)3月29日野山獄に投ぜられる 同 8月四か国連合艦隊との講和会議に奔走 同 12月15日下関挙兵 慶応元年(1866)6月17日小倉口開戦、征長軍との戦いを指揮 慶応3年(1867)4月13日下関新地で病没 命日は14日 享年29 江戸屋横丁 鬢付け油を商っていた江戸屋があったのが名の由来。 南に向かって、木戸孝允誕生の屋敷、旧佐伯丹下屋敷、青木周弼旧宅などがあった。 蘭学者で毛利敬親の侍医だった青木周弼旧宅は現在解体修理工事中であった。 萩藩大組125石藩士の屋敷。 屋敷は昔の状態が保たれており映画のロケにも使用されたとか。 天保4年(1833)6月26日萩藩医和田昌景(石高20石)の長男としてここに生まれた。 8歳で石高150石の桂家の養子(末期養子の為90石に)となったが、翌年養母も死亡したため、嘉永5年(1853)11月江戸にでるまでの約20年間この家で過ごした。 大正15年(1926)子孫の木戸幸一氏より当時の萩町に寄贈された。 |
山陰紀行
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