ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

山陰紀行

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江戸屋横丁の南の部分に円政寺と言う寺があった。

山号は月輪山と号する真言宗御室派の寺で、元々は大内氏の祈願寺として山口にあったが、毛利輝元が萩

に移ると同時に萩に移転したものらしい。

山門に向かう参道に神明造の鳥居が建つている神仏混淆色の濃い寺である。

高杉晋作と伊藤博文ゆかりの寺だと参道入り口の石標や手書きの案内書に記してあった。

境内に入ると、右手に立派な楼閣風の金毘羅社が建っている。

その拝殿に掲げてある天狗のお面を見ることにより幼少の晋作を剛毅にしたと言われる。

また、11歳の頃の伊藤博文(当時は利助)は母琴子の従兄妹だった当寺の住職恵運に一年半ほど預けられ

た。

利助は寺の雑用を行う傍ら恵運から読書・習字を教わったと言う。

住職のお話では、境内の南西隣辺りに、杉文の義理の兄で後に夫となる小田村伊之助(「花燃ゆ」では大

沢たかおが演じている)の邸宅があったそうだ。

高杉晋作、伊藤利助、それに近所の桂小五郎などがこの境内で遊んでいたかも知れないと思うと、今まで

は遠い存在の彼らを身近に感じた。


イメージ 1 円政寺門前
参道には石造の明神鳥居その奥に山門があった。



イメージ 2 鳥居の台輪
鳥居は笠木、島木に反りがあり、柱頭部に台輪が付いていた。
鳥居の製作は延享2年(1745)



イメージ 3 山 門
潜ると奥正面に本堂、右手に金毘羅社があった。




イメージ 4

                               金毘羅社
建立時期は不明。ただし金毘羅社に寄進された鳥居が延享2年(1745)であり、天保年間(1830〜43)に編纂された「八江萩名所図画」に現在の社のままの姿が描かれていることから少なくともその頃には建立されていたのは確実だ。
拝殿は一重裳階付入母屋造り本瓦葺 唐破風向拝は檜皮葺 桁行4m、梁間6.1m十二支の彫刻が巡らしてあった。
正面床には、文政5年(1822)奉納された大鏡が安置されていた。
此の鏡は、第二次大戦中、軍に供出されていた。
しかし、平成18年(2006)競売にだされていたを買い戻したものだとか。
拝殿の前面の左右に置かれている狛犬の台座は素晴らしい彫刻が施されていた。




イメージ 5 天狗面
正面上部に大きな天狗面が掛けられていた。
昔は口髭や頬髯をぶうぼう生やし、金色のピカピカの目を光らせていた。
幼少の頃の高杉晋作は臆病だったらしく、家人はここに連れて来てこの面を見せ、物恐れしない様しつけたとか、
逆に、近所の子供たちはこの面を恐れたが、晋作は喜んで見に行ったとも伝わる。




イメージ 6 イメージ 7
                              拝殿蟇股(表、裏)
拝殿の蟇股を良くみると、表からは唐獅子が彫られているが、裏にを見ると牡丹になっていた。





イメージ 8 神 馬
文政3年(1820)奉納されたもの
鼻の頭は多くの人が撫でたせいで黒光りしていた。




イメージ 9 石灯籠、本堂
石灯籠は高さ4m余で、竿の部分には竜の高彫がしてある堂々としたものだった。
安政5年(1858)造られたもので、山口県下最大とか
本堂には本尊薬師如来立像、不動明王が安置されている。
本堂横の売店では、伊藤利助(博文)が使用したしょいこ、中御門天皇第4皇女宝鏡寺宮真筆の山号などをごたごた山積みと言う感じで展示していた。

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