ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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気象庁は、6月3日に「近畿地方は梅雨入りしたとみられる」と発表した。

しかし、翌日4日はがんがんと陽が照りつける快晴だった。

その日、:)は明石市魚住のWさん宅を訪れた。

その帰り、Wさんが興味あるだろうからと案内してくれたのが、小式部内侍の供養塔と遍照寺であった。

小式部内侍は和泉式部の娘でこの場所に供養塔があるとは意外であった。

又 遍照寺は聖徳太子開基、行基が開山したという古刹であるが、境内に何故か三木城主の別所長治の供

養塔があったのも意外であった。

聞けば、かってこの近くに(廃寺となっているが)長坂寺という寺があって、遍照寺も、小式部内侍の供養

塔も、長坂寺と所縁のあるものであった。


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                                遍照寺境内
遍照寺は知恩院の末寺、で阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院。
廃寺となった長坂寺の塔頭寺院28ケ院の一つで、聖徳太子開基、行基か開山したという。
聖徳太子が百済の王子を見送った後、この辺りで船出に良い風が吹くのを待ったことから、「足留山」の山号が付いたと言われている。
 本堂は鉄筋コンクリート造りになっていたが、横に、太子堂・大日堂が並び、本堂正面には寛政年間の銘がある立派な石塔が建っていた。
石塔近くには立派な藤棚があり、春には素晴らしい花が見られるとの事であった。



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                              境内の四国霊場巡り
境内の霊園内に造られていた。
古くからあったものを平成6年(1994)修理整備したもののようだ。



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                               別所長治供養塔
1.5mほどの五輪塔、
別所長治は、戦国時代の三木城主で、秀吉の三木攻めで、天正8年(1580)城兵の助命のため自刃した。
供養塔がある経緯は良く分からないが、長治のファンがいたということだろう。



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                              小式部内侍供養塔
遍照寺から約400mに西の高台の生い茂る木の下に建っていた。
小式部内侍は、平安時代中期の代表的な女流歌人・和泉式部の娘で25,6歳で死んだと言われる。
彼女の歌は、小倉百人一首にも次の歌が採られている。
大江山生野の道はてほければ まだ文もみず天橋立
遍照寺に伝わる「小式部祷之松縁起」によると、一條天皇(在位986〜1011)の御代、一條天皇が皇居にある松の勢いを取り戻す歌を作るよう依頼した。
「ことわりや枯れではいかに姫小松 千代をば君にゆづるとおもへば」と詠んだところ、松は元気な姿になったという。
小式部内侍が早逝し、母の和泉式部は性空上人を訪ねて書写山円教寺を参詣し、その帰路、長坂寺に立ち寄った。
そこには性空上人の弟子・寂心上人がおり、上人から法話を聞いている内に我が子・小式部内侍に会いたくなった。
寺にこもり幾日か祈ると、香燻の中から小式部内侍の霊が現れた。
そこで、都に戻った後、皇居にあった小式部内侍所縁の松を長坂寺に移した。
その場所に寂心上人が五輪塔を建てて追善供養したという。
因みに、松は明治時代に枯れてしまったそうだ。






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