ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

播磨淡路風土記

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金ケ崎で西国街道から分かれ太山寺道に入り、大久保町松陰辺りまで歩いた。

太山寺道は、金ケ崎から大窪ー中の番ー松陰ー鳥羽新田ー野々池ー伊川谷ー太山寺へと続く。

この内、大窪ー中の番ー松陰辺りが明石市大久保町だ。

太山寺道周辺にある大久保の光蝕寺、松陰の東西の東光寺は、7年程前大久保周辺を探訪した時訪れてい

て、投稿している。

今回訪れても特に変化がなかったので、記事にしないで、最後の「関連記事」を記すのみにした。


イメージ 1 宗賢神社社頭
金ケ崎の道標から6〜700m、金ヶ崎神社から400mほどの先にあった。
寛文12年(1672)9月に王子権現を勧請・創建したと言われる。
明治元年(1868)宗賢神社に改称
東播地方には、政争を逃れた「をけにみこ、おけのみこ」2皇子の伝説とともに宗賢神社がいくつかある。




イメージ 2 宗賢神社社殿
祭神:顕宗天皇(ケンゾウテンノウ 第23代天皇    をけのみこ おけのみこの弟)
   仁賢天皇(ニンケンテンノウ 第24代天皇     おけのみこ をけのみこの兄)




イメージ 3西光寺
山号は鶏谷山 真宗興正寺派の寺院



イメージ 4西光寺  
奈良時代 慧辯(エベン)上人が開基
廃絶した中世寺院・江南山報恩寺の塔頭であっだった。
天正7年(1579)三木合戦により焼失したが、文禄元年(1592)了法上人(武田信玄の軍師・山本勘介の弟)により再建。




イメージ 5 教專寺
山号は高南山、真宗興正寺派の寺院
この辺りを「中の番」と言う。
秀吉の三木攻めの時に番所が置かれたことが地名の由来となったそうだ。




イメージ 6 小堂の中の仏様
境内に小さなお堂があり、街道近くに残っていた仏像、石仏、土仏などを祀っていた。





イメージ 7 松陰の道標
「左 太山寺道」と彫られている。
ここで折れて松陰ー亀池の直線ルートがあったと伝えられるが今は良く分からない。






イメージ 8

                                  ルート図





   関  連  記  事


西国街道大久保界隈、明石市
   (光蝕寺、西東光寺、東東光寺)

金水が見ごろ、志染の石室、三木市
  (億計、弘計2皇子が隠れた洞窟の伝説)

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