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風土記に曰はく、伊奈利と云うは、秦中家忌寸等が遠つ親、伊呂具の秦の公、稲梁を積みて富み 裕ひき。 乃ち餅を用いて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峰に居り、 稲成り生ひき、遂に社の名と為しき。 (「山城国風土記」の逸文) 延喜式神名帳頭註」や「山城風土記」逸文などによれば、和銅4年(711)2月初午の日、稲荷山の3つの峰に 鎮座した。 渡来系の氏族である秦中家忌寸(ハタノナカツイヘノイミキ)の遠祖である秦伊呂具(ハタノイログ)は富栄えており多くの稲 米を貯えていたが、餅で的を造って矢で射たところ、餅は 白鳥となって飛び立ち、山の峰に降りてとど まった。 そこに稲が生えたので、伊奈利(イナリ)という社名になった、とある。 内拝殿で参拝した後、山の中腹、奥社奉拝所までいってみた。 朱に彩られた境内は、活気あふれる外国人の参拝客と高校生らしい一団で、とにかく明るかった。 この先、ここから神奈備(カンナビ)である稲荷山(233)を巡拝する「お山巡り」コースがあるが、今回は見 送った。 表参道北側脇に鎮座していた 向って左から、熊野社、藤尾社、霊魂社 熊野社と藤尾社は重文
寛永12年(1635)建立、五間社流造り、重文
向って左から 長者社 荷田社 五社相殿社 両宮社 何れも重文 祭神:玉山稲荷大神 明治8年(1875)建立 東山天皇が宮中にて奉祀されていた稲荷社を崩御後、天皇にお仕えしていた松尾読売神社の社家・松室重興が預かった。 明治7年(1874)当社に遷座された。 白狐社、奥宮の前の石段の両側に坐す狐像には朱色の覆屋が付けられていた。 伏見稲荷大社の狐は稲荷大神の使いの霊狐である。 我々の願いを稲荷大神に伝えてくれる信じられている。 祭神;命婦専女神(ミョウブトウメノカミ) 寛永年間(1624〜1644) 重文 古くは「奥之命婦」、「命婦社」とも称され、 元禄7年(1694)までは現在の玉山稲荷社あたりに祀られていた。 祭神:稲荷大神 天正年間(1573〜1592)建立、元禄7年(1694)修復、重文 社殿は本殿と同様の流造り建てられ。摂社、末社でもなく、稲荷大神を祀ることから、他の境内社とは別格の社。 千本鳥居 奥宮横から奥社奉拝所までぎっしりと朱色の鳥居が並び、まるでトンネルのようだ。 祈願と感謝の証として、奉納されたもので、鳥居には「願いが通る、通った」という意味がこめられているとか。 鳥居を奉納するという習慣は江戸時代以降に広がったもので、確かに江戸時代初めの絵図には千本鳥居を思わせるものはない。 現在、境内に建つ鳥居は約10,000基あるとのこと。 ここは、外国人にの人気スポットとなっている アメリカ映画「SAYURI」(2005年)の中で、女の子が千本鳥居の中を走って行くシーンがあり、それが非常に印象的であるそうだ。残念ながら はこの映画を見ていない。お山・奥社を遥拝する。 時間があれば、ここから神奈備(カンナビ)である稲荷山(233)を巡拝する「お山巡り」をするのだが・・・。 |
京洛逍遥
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はこの映画を見ていない。


