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奥社奉拝殿から再び、内拝殿前まで戻ってきた。 ふと向かって右手(南側)は、人の姿が無く鈴かな雰囲気だった。 そこには奥から、神輿庫、神饌所、神楽殿と並んでいた。 更に一段下がった所に御茶屋(重文、非公開)、松の下屋があり、ちょうど外拝殿、楼門の南側に東丸神 社・荷田春満(カダノアズママル)旧宅があった。 東丸神社は、一見、伏見稲荷大社の境内社のように見えるが、れっきとした独立の神社であった。 神饌所前庭に置かれていた 稲穂舞 早苗挿す 舞の仕草の 左手右手 誓子 と刻む。 17世紀初めの建物とされる。 重文 寛永18年(1694)禁中非蔵人として出仕していた羽倉延次が後水尾上皇から拝領し、仙洞御所より移築したもの。 お茶屋は非公開なので門より中を覗く。 お茶屋に隣接する松の下屋の玄関に続いていた。 江戸時代中期の国学者・荷田春満の旧宅と、隣接して荷田春満を祭神とする東丸神社があった。 荷田春満(カダノアズママロ 1669〜1736)は稲荷神社の神官で、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤、と共に国学の四大人の一人とされる国学者。 旧宅は荷田春満が生まれ、育った邸宅。 東丸神社は、荷田春満が学問の神として祀られており、勉強向上、受験合格祈願の絵馬と共に折鶴が多く奉納されていた。 なお、伏見稲荷大社とは別の独立した神社である。 |
京洛逍遥
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