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江戸時代明石城下の西だった明石川を渡る。 かっては大観橋の東に姫路口門があったというが、勿論今はその痕跡は全くない。 ここから南側は明石城下の寺町で南に折れると多くの寺社がある。 この中の2か所ぐらい覗いてみるつもりで樽屋町交差点で南に折れた。 200mほど歩くと右手に本立寺(ホンリュウジ)が建っていた。 無縁墓をピラミッド状に積んだ無縁墓塚が塀越しに良く見える。 元和3年(1617)小笠原忠政(忠真)が明石藩初代藩主として信州松本から本源寺を移して、本立寺と称し た。 寛永9年(1632)小笠原家が豊後国小倉に移った時、本立寺も小倉に移された。 後に、淡路の本妙寺の日種上人が跡地を拝領して妙圓院を建立した。 その後、以前ここにあった寺の名に復して本立寺と改称した。 昭和20年(1945)7月の空襲により山門のみを残して焼失したが、戦後再建されて今日に至っている。 先生墓所」の石標が建っていた。 山門から正面は参道が続き、奥が再建された本堂となっていて途中右手に「浜の妙見山」があった。 さらに奥の霊園の中に梁田家代々の墓がありその中に、梁田蛻巖(ヤナダゼイガン)の墓があった。 霊園の端に無縁墓をピラミッド状に積んだ無縁墓塚があったが、驚いたことに、鉄骨で2段になってい た。 よほど多くの無縁墓があったのだろう。 山号:成道山、宗派:日蓮宗久遠寺派、 昭和43年(1968)再建 本尊:日蓮上人奠定大曼荼羅 「浜の妙見さん」と親しまれている。 梁田家の墓の中にあった。 梁田蛻巖(ヤナダゼイガン 1672〜1757) 享保4年(1719)から40年間明石藩に儒学者として仕えた。 新井白石、祇園南海、秋山玉山と共に、「正徳の四家」と呼ばれた。 亀毛の号で俳諧を嗜み、明石公園に句碑が建っている。 鉄筋2階建てになっており、1階にも同じような無縁墓塚が造られていた。 2階の無縁墓塚が外からも良く見えた。 明石公園(明石城)内坤櫓の石垣下建てられていた。 亀毛(梁田蛻巖)200回忌記念として昭和32年(1957)建碑 肘を曲てはしぐれ聞く夜なるへし 亀毛 |
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