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山陽電鉄「人丸前」駅から北に緩やかな坂道をを登り切ったところ、距離にして約800mに「太寺(タイデラ) バス停」あった。 そこから東に約150mほどの処に太寺廃寺跡に建つといわれる高家寺(コウケジ)があった。 そこまでの道は意外と入り組んでいたが看板があったのでスムーズに行けた。 高家寺は山号は、太寺山(タイデラサン)、天台宗の寺で、地元では「こうけいじさん」と呼ばれている。 本尊は薬師如来(秘仏)で、8世紀の頃、明石浦の漁師刑部定国が海中より薬師如来像を引き揚げ、太山寺 に安置した。 その代りに太山寺の薬師如来像を頂いてここに安置したものという、言い伝えがある。 以後は荒廃と復興を繰り返し、江戸時代に入って、初代明石藩々主小笠原忠真(タダザネ 忠政が寺を再建 した。 しかし、その後明治にかけて無住が続きほとんど記録が散逸したと言われている。 小笠原田忠真実が再建したと言われる本堂前の境内は、併設する太寺保育園の園児の運動場になってい て、安全フェンスで囲いを造っていた。 境内の南東隅に太寺廃寺塔跡といわれる基壇があった。 基壇には木々が生い茂り礎石が点在し、中央部に不動明王石像と役行者石像が置かれてあった。 「太寺廃寺は、朝霧川と明石川に画された明石海峡をのぞむ台地の東南端する。現在の高家寺境内がその 中心と見られる。太寺廃寺は古代明石郡内の奈良時代前期につくられた唯一の寺院である。」と言ったこ とを記した説明板が立っていた。 山号:太寺山 宗派:天台宗 元和年間(1615〜24)小笠原忠真が」再建したと言われる。 柱に寛文2年(1662)の年号が刻まれており、少なくともそれ以前に建築されたと思われている。 桁行・梁間:各5間、向拝付 寄棟造り 明石市内で最古の寺社建築 本尊:薬師如来坐像(秘仏 平安時代後期を様式を示す) 旧明石郡七薬師の一つ 脇侍:日光・月光菩薩像 高家寺境内の東南隅にあった。 塔跡の基壇中央部に 不動明王石像と役行者石像が安置されていた。 高家寺から約200mほど西の太寺会館裏にある「大禮記念櫻」碑の自然石の台座。 明石市文化財審議会委員を務められているT先生によれば、太寺会館できる前からあり、礎石を示す窪みなどを確認され、高家寺の(東の)礎石に対をなす塔の礎石と考えられた。しかし、その後行方が分からなくなり探していたところ、この碑の台座に利用されていたことが最近分かった、と言われていた。 太寺バス停から約200m行ったところに鎮座 明治に改称する以前は「天王神社」と呼ばれ、今でもそう俗称されている。 祭神:素戔嗚尊(牛頭天王) 江戸時代明石城の丑寅方向の守護神として祀られたと言われている。 素戔嗚尊と同一化されている牛頭大王はインド祇園精舎の土地神、中国を経て、7世紀中頃明石に上陸、播磨を巡り姫路の広峯山に吉備真備が祀った。 後に京都に分祀(八坂神社)され、祇園祭になったと言われる。 |
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