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大本坊を出た脇に、「兼法勝西教寺」の寺標が建っていた。 西教寺は、正しくは「天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺」といい、伝奏18年(1590)白河天皇が創建し 、その後衰退していた法勝寺の法灯を継いだことによる。 寺標はそれを示しているのであろう。 大本坊はを出て、本堂の東側に向かうと袴腰付の重量感のある鐘楼が建っていた。 中の梵鐘は、明智光秀が寄進した坂本城の城鐘で重文で、昭和62年(1987)まで衝かれていたと言うこと だった。 平成元年(1989)作庭 江戸時代作庭 三尊石組の枯山水の石庭 昭和33年(1958)改築 法勝寺は承暦元年(1077)創建された白河天皇の勅願寺で七堂伽藍完備した名刹であった。 その後、度々災禍や兵火に遭い、天正18年(1590)後陽成天皇は、西教寺9世真智上人に西教寺が法勝寺を 兼併せよとの綸旨を下賜され、薬師如来像(重文 客殿に安置)などをした。 それ故、西教寺は正しくは「天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺」という。 本堂の東側に棟を南北に向けて建つ。 天保2年(1831)築 桁行3間、梁間2軒 袴腰月入母屋造本瓦葺 梵鐘(平安時代 重文)は光秀寄進で、坂本城の城鐘と言われている。 |
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