ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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山口市内の湯田温泉からバスで40分ほどで秋吉台・秋芳洞に着いた。

観光案内所で巡り方を尋ねたら、今の季節であれば、先ず秋芳洞に入り、本洞を見物しながら抜け、

洞内からエレベーテーで地上に出ると秋吉台を見渡せる展望台に出るのでそこから秋吉台全景を眺め、

その後再びエレベーテーで洞内に戻り、黒谷支洞を見物するコースを勧めてくれた。

秋芳洞までは約5分、その間土産物店が両側に軒を連ねていた。

秋芳洞は、日本最大級のカルスト台地「秋吉台」の下にできた日本屈指の大鍾乳洞である。

大正15年(1926)昭和天皇が皇太子の時、本洞を探勝され「秋芳洞」の名を賜ったという。

総延長8.9kmで観光コースはその内の約1kmに過ぎない。

本洞に入ると、青天井、長淵、百枚皿、広庭(洞内富士)、千町田、傘ずくし、大黒柱、千畳敷などと名が

付けられた大きな空間、や石灰岩が一旦解けて再び固まって造った奇岩があった。

しかし、手持ちのコンパクトカメラで撮ったものの、当然のことながら洞窟の暗さと、巨大さで、うまく

取れなかった。

かろうじて撮れたもののみ提示する。



イメージ 1 はっぱ虫
秋芳洞行く途中の売店で売っていた草の葉で作った虫
500円/匹



イメージ 2 秋芳洞入口
国の特別天然記念物



イメージ 3 百枚皿 



イメージ 4 洞内富士
洞内最大の石筍




イメージ 5 笣 柿



イメージ 6 蓬莱山 



イメージ 7 傘ずくし 
天井から滴下する水が作り上げた鍾乳石
群をなし昔の傘屋の天井を思わせる。



イメージ 8 大黒柱 



イメージ 9 空 瀧 
3月17日13:30 世界最大級の大型クルーズ客船「クアンタム・オブ・ザ・シーズ」(総トン数:168,666  

トン)が神戸港に初入港した。

同船が接岸した同じ新港第4突堤の西側には、大型クルーズ客船「ぱしふぃっく・びいなす」(総トン

数:26,594トン)、隣の第3突堤東岸壁には大型カーフェリー「こうべエキスプレス」総トン数:(11,933トン)

も停泊していた。

何れも大型船であるが近くに「クアンタム・オブ・ザ・シーズ」が停泊しているので、ずいぶん小さく見え

た。

イメージ 1
第3突堤に停泊中の「こうべ・エキスプレス」
大型カーフェリー「こうべエキスプレス」の主要目 
       運行会社:宮崎カーフェリー   竣工:1997年
       総トン数:11,933トン   全長:170.0m   全幅:27.0m  旅客定員:690人

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第4突堤西岸壁に停泊中の「ぱしふぃっく・びいなす」
大型クルーズ客船「ぱしふぃっく・びいなす」の主要目
       運行会社:日本クルーズ客船  建造:1998年
       総トン数:26,594トン  全長:183.0m  航海速力:18.0ノット 旅客定員:620人

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第3突堤から3隻の船を眺めた風景


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市庁舎25階展望室から眺めた3隻の風景
左から「クアンタム・オブ・ザ・シーズ」、「ぱしふぃっく・びいなす」、「こうべ・エキスプレス」
世界最大級 関西の港に入港する最大の大型クルーズ客船クァンタム・オブ・ザ・シーズが、

3月17日  13時30分神戸港に初入港すると聞いたので出かけた。

12時ごろから神戸大橋の中央辺りで待機していると、12時50分ごろ、ポートアイランドの東北方向(新

港行路)に巨大なクルーズ船が姿を見せ始めた。

やがて新港第4突堤東側海域にゆっくりと入り、13時30分ごろ予定通り東岸壁に接岸した。

今回のクァンタム・オブ・ザ・シーズは、中国上海を発着とするクルーズで、横浜から入港して、

13時59分上海に向かって出港する。

下船した観光客は、近くに待機した観光バスなどを使い、半日観光に出かけて行った。

因みにクァンタム・オブ・ザ・シーズ(Quantum of the Seas)の主な要目は次の通り:
 船籍:バハマ     
 運航会社:ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(Royal Caribbean International)
  総トン数:168,666トン        全長:347.8m       全幅:41.0m
 航海速力:22.0ノット      旅客定員:4180人    就航:1014年11月


イメージ 9
ポートアイランド北東に姿見せたクァンタム・オブ・ザ・シーズ


イメージ 1
クァンタム・オブ・ザ・シーズ


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方向を変え、岩壁に接近中のクァンタム・オブ・ザ・シーズ


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接岸したクァンタム・オブ・ザ・シーズ

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接岸したクァンタム・オブ・ザ・シーズ(送迎デッキから撮影)



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クァンタム・オブ・ザ・シーズから姿を見せる観光客(送迎デッキから撮影)


イメージ 6
神戸市消防音楽隊とターミナル・レディーのお出迎え(送迎デッキから撮影)


イメージ 7
3か所のハッチからの下船(送迎デッキから撮影)


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クァンタム・オブ・ザ・シーズの後尾姿
丁度ポートライナーが近くを走っている。(北側の陸協上から撮影)



この藩が山口に固執したのは、この町が領内の交通上の要衝にあたるため幕末風雲期における情報入手

や命令伝達につごうがよかったからである

長州藩が天下に野望をもつとき、萩を不自由とし、山口を固執したといいうことは、これを逆に

みれば、徳川初期、毛利氏を萩に閉じ込めようとした当時の幕府の地政感覚がきわめて的確であった

ことを証拠だてることにもなる。 (司馬遼太郎「街道をゆく 1」)



洞春寺から南に下って行くと国道9号にぶつかり、西に行くと直ぐに県庁前に来た。

県庁前には、周囲のコンクリート造りの建物の前に、豪壮なな門が建っていた。

近づいてみるとそれは旧山口藩庁門であった。

じっくり見ておきたかったが、湯田温泉行のバスが来たらしく、同行のHが急がせるのでさっと見るだけ

だった。

今夜は山口市内の湯田温泉に泊まり、明日天気が悪くなければ、秋吉台に向かう予定だ。


イメージ 1

                             旧山口藩庁門
元治元年(1864)長州13代藩主毛利敬親(タカチカ)は藩政の本拠地を萩から山口に移すため山口政事堂を建設した。
この門は、その政事堂の表門である。
切妻造、本瓦葺の藥医門、主材は欅と松で、木割は豪快でいかにも城門らしい風格を残している。
明治4年(1871)の廃藩置県までは藩庁門として使用され、その後は山口県庁正門として使用された。
新県庁舎(現県政資料館、重文)が完成した大正5年(1916)からは西口の門として利用され現在に至っている。

香山(コウザン)公園の西端に洞春寺(トウシュンジ)が建っていた。

洞春寺は山号を正宗山と号する臨済宗建仁寺派の寺院で毛利元就の菩提寺である。

因みに、洞春は元就の法名である。

毛利元就は元亀2年(1571)安芸郡山城にて75歳で没した。

墓は郡山にあり、菩提寺は元亀3年(1572)安芸吉田城内に建立された。

しかし、毛利氏の防長移封により慶長11年(1606)萩城内に、更に明治2年(1869)山口に移された。

入口の山門、および 境内西奥の観音堂は重文指定受けていると言うので立ち寄ってみた。

境内には、人っ気が全くなかった。



イメージ 1 洞春寺山門
切妻造 檜皮葺 四脚門 重文
元々この地には応永11年(1404)大内盛見(モリハル)が建立した国清寺があった。
この山門は国清寺の創建当時のものと言われている。




イメージ 2 洞春寺中門
本堂前に建つ。



イメージ 3 本 堂 



イメージ 4 観音堂
桁行・梁間3間、一重裳階付 入母屋造 重文
杮葺だったが昭和25年の解体修理の際、銅板葺に変更された。
正面に唐戸、左右に花頭窓がある
内部は唐様四半敷瓦
本尊聖観音菩薩像を納めた岩屋造厨子が安置されていた。
永享2年(1430)大内持盛を開基とする滝の観音寺の仏殿として創建された。
大正4年(1915)洞春寺境内の現在地に移されたもの。




イメージ 5 岩屋造厨子
観音堂中央に安置され、本尊聖観音菩薩像を納めている。
この岩屋造厨子は創建当時のものと言われている。

あらとうと  導きたまえ  観世音                西の御山に   ひびく入りあい




イメージ 6 鐘楼門 
中門の東(向かって右手)側に建っていた。
右手奥の白壁の建物はのむら美術館。

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