7月29日(土)の午後 堺市の鉄砲町とその近くを散策した。暑かった。

南海七道駅を降りるとロータリ側に「放鳥銃定限記」と刻した大きな自然石の碑があった。17世紀の某砲術家が師を賛辞した碑を建てた。しかし、いつしか地中に埋もれ大正13年出土した。それをはめ込んであるのだ。

近くのダイセルの工場敷地脇には「鉄砲射的場跡」の碑があった。
早くから鉄砲が伝来した堺は鉄砲の一大生産地だったことから、この辺りは射撃場があり、明治初までその名残があったという。
南海電鉄線をくぐる。この辺りは戦災にあわなかったようで古い家が残っている。

この中で井上鉄砲鍛冶屋敷は堺にただ一つ現存する江戸時代からの鉄砲鍛冶屋敷だそうだ。残念ながら内部は見られなかった。

又少し離れたところに、山口家住宅がある。これは母屋が江戸初期のもので、その後増改築が行われているが堺の豪商住宅の雰囲気を今日に伝えている。

戦災にあわなかったとはいえ、残った古い家の多くは鑑賞に堪えがたい状況にあったが、一軒の線香を扱う店はビルにせず、あえて街の雰囲気に合わせるように建てられていた。倉敷並とはいかないまでも、こういった家が多くあればと思った。
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