|
足に傷を負った一羽の白鷺が傷を癒しているのを見て発見された、との伝説を持つ道後温泉は日本書紀にも登場する日本最古の温泉の一つだ。 しかし、道後温泉を一般に有名にしたのは夏目漱石の「坊ちゃん」である。道後温泉でも観光PRの点から、「坊ちゃん」を積極的に活用している。 道後温泉に着いたのは17時半ごろだった。雨は既に止んでいる様だったので、ホテルで湯かごを借りて、近くの道後温泉本館へ行った。 明治27年(1894)建築(その後増築、昭和10年には男女二室に改造などしている)のこの建物は「明治時代の温泉施設をこんなにきれいに残している」のはここだけとか。 道後温泉には数回来た事があるが、毎回道後温泉本館へ行っている。今ではここも「坊ちゃん湯」と愛称を付けている。 泉質はアルカリ単純泉だとか、泉温は20度〜55度、効能は・・・、源泉かけ流しで・・ など 一時話題になった野暮なことは考えない。 建物内は迷路のようでどこに何があるのか良く分からない。案内にしたがって足を運ぶだけだった。 浴槽は花崗岩で作られ、真ん中に彫刻を施した花崗岩の大きな湯釜が鎮座していた。 入浴者は多くなかった。多分、時間の所為だろう。ただ、ぬるい湯に入慣れている身には熱い。半身浴で済ました。(無論、坊ちゃんの様に泳ぐことはしなかった。) 漱石は翌明治28年(1895)4月松山中学に赴任している。ここの温泉が大変気に入ったらしく、
「道後温泉は余程立派なる建物にて 八銭出すと 三階に上がり 茶を飲み 菓子を食ひ 湯に入れば頭まで石鹸で洗って呉れるという様な始末随分結好に御座候」と狩野亮吉に書き送っている(明治28年5月10日付書簡) また、彼のヒット作「坊ちゃん」では 何箇所かで描写しているが例えば次の様な文章がある。 「此の所は何を見ても東京の足元のも及ばないが 温泉だけは立派なものだ。」 「温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上 女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日はいるのは贅沢だと言い出した。余計なお世話だ。・・・・・」 翌朝、曇天のため6時過ぎにしては暗かったが、 道後温泉本館の周囲を歩いてみた。道後温泉本館で入浴しようとする人の姿を多く見かけた。道後温泉本館の上に振鷺閣と呼ばれる「太鼓櫓」があり、毎朝6時に太鼓の音で開館を告げるとのことだが、「太鼓の音に気付かなかった。」そんなことを思いながら歩いているとからくり時計と足湯場がある所に来た。、6時半ごろにも拘わらず数人が腰を据えて足湯をしていた。 からくり時計は8時から21時の間、1時間毎に「坊ちゃん」の登場人物が現れる仕掛けになっているとのこと。足湯場やからくり時計は記憶にないので多分最近造られたのだと思う。 からくり時計のほぼ向いに伊予鉄道「道後温泉」駅があり、その前に客車を連ねた小さな蒸気機関車があり、「坊ちゃん列車」と表示してあった。漱石の時代は此のような列車だったのだろうか? 「坊ちゃん」には次のように記されている。
「停車場はすぐ知れた。切符もわけなく買えた。乗り込んでみると マッチ箱のような汽車だ。 ごろごろと五分ばかり動いたかと思ったら、もうおりなければならない。どうりで切符が安いと思った。たった三銭である。・・・」 なお、伊予鉄道は現存する地方鉄道の中で最も古い歴史を持つ鉄道会社だそうだ。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2007年04月30日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]


