鎌倉時代初期の歌人 藤原為家が
残念ながら今、この松は無い。 写真の碑は、神戸史談会が藤原為家の歌を刻した碑を建てたもの。
そこに兵庫城跡の碑があった。 戦国時代池田輝政、信輝父子が天正19年(1581)築城した。明治元年(1868) には最初の兵庫県庁が建てられた地でもある。
兵庫津は江戸時代初期には尼崎藩領であったが、明和6年(1769)の上地のよって天領になり、山村や耕地のある農村部(地方:ジカタ)を代官が支配し、町方は大阪奉行が支配した。町方は岡方、北浜、南浜、に3区分され、これを兵庫三方(サンカタ)と呼んだ。町民の投票によって選ばれた三方の名主が月番を定めて交替しながら町政を執り行った。大きな事項については兵庫津三方の名主が惣会所に集まり協議した。 なお、三方には夫々惣会所があった。
祭神は天照大神、豊受大神、猿田彦大神 伊勢神宮から勧請して古くから兵庫の町の守護神として鎮座し祀られていた。 起源は不明であるが、元禄5年(1692)の「寺社改帳」に伊勢神宮と同じ形式の2社が記されている。兵庫は清盛によって大輪田の泊が大改修されて瀬戸内の要港として多数の海運業者が集まるようになり、この頃海上安全の守護神猿田彦大神が合祀されたと思われる。 江戸時代には能福寺とも関係があり、寛永年間(1624〜1644)には同寺が宮守として奉祀していたとの記録がある。 左側に、摂社の「神明稲荷社」が建っている。
その後足利尊氏は九州より攻め上り、兵庫に再上陸し、湊川の合戦で勝利した。 室町幕府を開いた尊氏は康永3年(1344)報恩のため福海寺(正しくは「大光山福海興国禅寺」)をひらいた。写真は法堂 |
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