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JR宇治駅を降りたとき、今にも雨が降りそうな天気だった。 とにかく、世界遺産平等院だけは行っておこうと思い、足を急がせた。JR宇治駅から徒歩約15分だった。 平等院は宇治川の左岸に建っていた。この風光明媚な地は平安時代から都人の心を捉えていたらしく、こ の辺りには皇族貴族の別邸が築かれていた。 平等院は光源氏のモデルの一人とされる源融の別邸で後に、藤原道長が譲り受け その子頼通が永承7年(1052)に寺に改めたのが始まりと言う。 鳳凰堂(阿弥陀堂) 正式名称は平等院阿弥陀堂。天喜元年(1053)建立。 阿字池(アジイケ)に浮かぶ中堂と左右の翼楼が羽を広げた鳳凰を連想させ、屋根に一対の鳳凰像が設置されていることから、後に鳳凰堂と呼ばれるようになった。 十円硬貨や一万円札のデザインに採用されていることでお馴染み。中堂には雲中供養菩薩に囲まれた、定朝作の巨大な阿弥陀如来坐像が鎮座する。 鳳凰堂内外の景観は浄土美術の最高傑作であり、極楽の光景が具現されていると言われている。 藤棚と観音堂 平等院は藤の花でも有名だが、今は花が全くない。葉だけの藤棚の先に観音堂が建っていた。 本尊は十一面観音立像、他に不動明王等が安置されていた。 扇之芝 観音堂の近くにあり、治承4年(1180)高倉宮以仁王を奉じて平家打倒の狼煙を挙げた源頼政は、戦に利なく破れ、ここで軍扇に辞世を記し自刃したと伝えられる。 (源頼政は)高声に十念となへ、最後の詞ぞあはれなる。 「埋木の はな咲く事も なかりしに 身のなるはてぞ かなしかりける」 これを最後の詞にて 太刀のさきを 腹につきたて、うつぶさまにつらぬかッてぞうせられける。 其時に歌よむべぅはなかりしかども、わかうよりあながちにすいたる道なれば、最後の時も、忘れ給はず。 その頸をば唱(家来の渡辺長七唱)取ッて、泣く泣く石にくくりあわせ、かたきの中をまぎれいでて、宇治河のふかき所にしづめてンげり。 (「平家物語」巻4 宮御最期 ) 源頼政の墓 最勝院の境内の隅にあった。 辞世埋もれ木の 花さくことも なかりしに みのなるはてぞ 悲しかりける (埋れ木の花が咲くことも無いように、世に埋もれて栄華に時めくことも無かった一生の自分が、今このように哀れな最後を遂げようとしている。我が身=実=のなれの果ては本当に悲しいことだ) 丁寧に清掃され花が手向けられていた。 浄土院の境内 平等院の塔頭の一つ。中央が本堂、奥が羅漢堂、手前が大書院。 救世船乗観音 本堂の入口に展示されていた。子院の観音堂に安置されていた観音像が戦後盗難に遭い、このたび新たに復元したものだそうだ。 羅漢堂 格子戸から内部を覗くと、十六羅漢が安置されていた。 |
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2008年05月31日
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