羽柴秀吉に水攻めにあった天正10年(1582)当時の高松城は、沼沢地に囲まれた地であることがこの眺めからもよくわかった。 天正10年6月4日城主清水宗治の船上での自刃をもって毛利側と和睦した秀吉は明智光秀を討つべく、「中国大返し」をおこなう。 現在の城跡は歴史公園として整備されているが城跡としての名残りはない。ただ近くにこの碑が建っていた。 周囲には水攻めの堰提跡や太閤腰掛岩が残るとのことだが、場所が良く分からなかった。
鯉喰神社から近くの田園の中に「石の釜」と呼ばれる長径2m短径1.5mの楕円形した石があった。 大きな塔の中心柱の礎石で、これから奈良時代前期にはこの辺りに大伽藍があったと推定される。 中央部には深さ16cmの孔があり、更にその底には、仏舎利を納めたと思われる小穴があった。
吉備津神社前のレストランで食べた。具に黍団子が数個と雉の肉が入っているからだという。 猿と犬の立場はどうなるのかと思った。松茸や山菜、若布も入っており美味しかった。
吉備津神社と吉備津彦神社の途中にある。鼻ぐりとは牛の鼻につけられた「鼻輪」のこと。 畜類供養のため昭和初年に建立された。正面に馬頭観音を祀り、現在までに納められた鼻輪の数は690万を超え、現在も年間数万個鼻輪が納められているとのこと。 |
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2008年12月05日
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