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書写山の頂上に広がる圓教寺の境内は緑豊な木々に包まれている。 境内にある小堂宇をめぐった。なお、奥の院で、性空(ショウクウ)上人を祀る開山堂は修理工事中の為シート で覆われており参拝は出来なかった。 ところで、書写山は、今では老若男女訪れることができるが、江戸時代までは女人禁制であった。 江戸時代に書かれた紀行文を読むと、書写山に参拝できない女性の無念さが滲んでいるのを覗うことがで きる。 書写の御寺にもうでんとしつれど、其御山は女を禁じ給ふよしききて思ひ絶えつゝさらばとて 広峰に参りたり(「初午日記」) あなたこなた見めぐりて いまだ午のとききなりぬといへば書写にこころざしおもむきぬ (中略)やうやう書写にいたりてのぼぬれば女人堂あり。禁制としりせば来るまじきを あだに労せしことよとわびし。(「藻屑」) それを思い、そんな禁制のない今の世の有難さを感じる。 だが、境内のピチピチした女性参拝者達を遠望していたら、煩悩が湧き出しそうだったので、急ぎ不動堂 の前で頭をたれた。 延宝年間(1673〜1681)に堂を造り、明王院の乙天童子の本地仏・不動明王を祀る。元禄10年(1677)堂を修理し、荒廃していた大経所を合わせて不動堂としている。若天童子(本地仏・毘沙門天)のそれはない。一説には若天はその姿があまりに怪異なため、人々が怖れたので性空上人が若天に暇を出したとも言われている。 室町時代築 性空上人の傍らでいつも仕えた乙天護法童子と若天護法童子を祀る 室町時代築 本尊:金剛薩埵坐像 以前来た時、内部が公開されており、天井に天女の絵が描かれているのを見ることが出来た。 性空上人が天台の秘法を授けられたと言う伝承がある。 鎌倉時代築 本尊:薬師如来坐像 脇侍:日光・月光菩薩立像、12神将 天応元年(1319)再建された堂と考えられており、圓教寺で最古の様式を持つ。 江戸時代再建 本尊:普賢菩薩 寺伝によれば、元弘2年(1332)再建 鐘は元亨4年(1324)再鋳 大講堂、摩尼殿についで性空上人が第3の吉所とした所で、上人はここで六根清浄の行をつんで心眼を開いたとされる。 |
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2009年10月21日
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