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諸堂が点在する書写山圓教寺の境内に、姫路城主三家の墓所が点在していた。
本多家墓所
本多家は江戸時代の初期と中期に姫路城主になっている。本多家墓所には本多家7名と殉死者4名の墓がある。 本多家5名の墓は廟屋にはいっていた。 廟屋の中の墓は五輪塔だった。 榊原家は慶安2年(1649)〜寛文7年(1667)と宝永元年(1704)〜寛保元年(1741)の2度6人が姫路城主になっている。内2名政房と政祐の墓碑が並んでいる。 直基は家康の次男秀康の第五子、慶安元年(1648)姫路城主を命じられたが、移封中死亡した。 |
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2009年10月22日
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