|
国東六郷満山の拠点の一つ胎蔵寺(門前の石造の仁王様はなかなか良かったが写真を撮り損ねた)から、谷 川沿いの山道を歩く。 約300m登ると、石造りの鳥居があり、これから先は、鬼が一夜で築いたと伝えられる自然石を積み上げた 石段があった。石段は急な勾配で、安全のため手すりが付けられていたが、爆弾を抱えている には少しきつかった。 この石段は、伝説では99段ある筈なので、数えながら登ると100段以上あった。数え方を誤ったかと思い ながら、顔を上げると、目の前に巨岸壁に刻まれた不動明王が現れた。 入口で貰った資料に依れば、総高約8mだ。右手に剣を持ち、左側に弁髪がねじれて胸の辺りまでたれ、 両眼球は突き出し、鼻は広く牙をもって唇をかんでいるが、一般の不動らしい憤怒相ではなく、どことな く温かみのあるというかユーモアささえ感じるお不動さまであった。 脇侍として定番の矜羯羅童子(コンガラドウジ)、制咤迦童子(セイタカドジ)らしい像が刻まれていることが分るが 崩壊がひどくはっきりしない。 不動明王脇侍の向って右外側に高さ約1.5mの龕(ガン)が2つ刻まれており、中に神像が刻まれている。 この地が熊野神社の境内であることを思えば、家津御子(ケツミコ)、速玉の2神と想像されるとのことだ。 神像の更に右外側に高さ約6.8mの大日如来像がある筈だが、現在保存工事中で、工事用の足場が組まれシ ートが覆われていた。観光パンフレットから様子を想像するしかなかった。 これらの石仏群は、伝説では養老2年(718)仁聞(ニンモン)菩薩が造ったと言われているが、文献的には少な くとも藤原末期以前と推定されるとのことだ。 先に訪れた富貴寺もそうだったが、「六郷満山」と呼ばれた国東半島の寺院の多くは、仁聞菩薩が養老2 年(718)開いたという縁起をもつ。 仁聞菩薩は奈良時代の弥勒寺の僧とも、八幡神の化身とも言われるが、その実在は疑わしい。 比売大神の別称神母(ジンモ)菩薩が転訛したという説もあるが、定説はない。 無論、仁聞菩薩という菩薩は仏教の経典には存在しないという。 実際には、修行のために山に分け入った弥勒寺の名も無い僧たちが寺を開き、岩を穿ったのだろう。 これらの僧たちの姿が、一人に統合されると共に、宇佐神宮の神仏混淆思想の中から仁聞菩薩信仰が生ま れたと思われる。 磨崖仏群の右手の山道を登ると、木々の中にひっそりと熊野神社の社殿があった。 どこまで聞いて下さるか分らないが、ここで旅の安全、家内安全を祈った。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2009年10月04日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]
には少し

