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善光寺縁起はこう伝える。 昔天竺の月蓋長者欲深い人だった。しかし、娘の如是姫の病気を阿弥陀如来に治してもらい、改心して深 く仏教に帰依するようになった。 如来の姿をこの世に留め、終生お仕えしたいと言う長者の願いに応じ、釈尊と阿弥陀如来は龍宮の閻浮壇 金(エンブダゴン)によって阿弥陀如来と寸分違わぬ姿の一光三尊阿弥陀如来像(一つの光背に阿弥陀如来、 観音菩薩、勢至菩薩が並ぶ像)を出現させた。 長者が亡くなった後、この像は百済に渡り、舒明天皇の時代、仏教伝来と共に聖明王により日本に献じら れた。像は一旦宮中に迎えられたが、疫病が広がったため、排仏派の物部氏によって難波の堀江に捨てら れてしまった。 当時国司のお供で都に上っていた信濃国麻績郷(現在の飯田市)の住人・本田善光がそこを通りかかった 時、像は彼を呼びとめ堀から飛び出し背中に負った。 彼は像を背負って故郷に持ち帰り、自宅を寺に改め、像を手厚く祀ったのが善光寺の始まりである。 その後、像が善光の枕元に立って、水内郷(現在の長野市)に移りたいと告げられたので、皇極天皇元年 (642)現在地に安置するようになった。
表参道(中央通)を北上するとやがて道が細くなり長方形の敷石道となり、左右は宿坊が建ち並ぶ、 ここから三門まで約400m続く。敷石道は正徳4年(1714)完成し、敷石は約7000枚あり、これほどの規模を 持つ近世以前の敷石の参道は全国的に稀だそうだ。 善光寺参道 程なくして住職の一人を務める浄土宗の本坊「大本願」を過ぎると仁王門が現れた。大正3年(1918)の再 建で、仁王像は高村光雲と米原雲海の合作だとのこと。 仁 王 門 仁 王 像 仁王門を過ぎると宿坊は少し引っ込み、土産物店が建ち並ぶ。 売り子の呼び込みの声を聞きながら歩いていき、住職の一人を務める天台宗の本坊「大勧進」前を過ぎた 所に三門が建っていた。寛延3年(1750)建立 重文だ。 屋根は平成14年から19年の修理で栩葺きに復元されたそうだ。 三 門 三門を過ぎると目の前に本堂が聳える。宝永4年(1707)の再建で裳階を廻らせた二重屋根で正面からは分 りにくいが、撞木造りといわれる独特の形をしている。国宝で、国宝に指定されている木造建築の中で3 番目の大きさとのこと。 本 堂
撮影が禁止されているので写真で説明できないが、外陣にはなで仏のびんずる尊者像、親鸞聖人お花松、 閻魔王像などの十王像が安置されていた。 内陣に入ると、左右の壇上に丈六の弥勒菩薩、地蔵菩薩安置されていた。間近で拝見するのでただ圧倒さ れたきぶんであった。 内々陣左側本尊を祀る瑠璃壇、右側には本田善光、夫人・弥生の前、息子・善佐像を祀っていた。 参拝した後、お戒壇めぐりをした。本尊の安置されている瑠璃壇下の真っ暗な廻廊を通り、中ほどに懸る 「極楽の錠前」を探り当てて、秘仏である本尊と結縁してきた。これで極楽往生は間違いないだろう。
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2010年02月17日
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