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信濃国の住人、おうみの本田善光と言ふ者、都へのぼりたりけるが、彼如来に遭ひ奉りたりけるに、 やがていざなひ参らせて、昼は善光、如来を負ひ奉り、夜は善光、如来におはれ奉ッて、 信濃国へ下り、水内(ミノチ)の郡に安置し奉ッしよりこのかた・・・・・・(「平家物語」巻第2 善光寺炎上) (信濃国の住人、麻績(オウミ)の本田善光という者が京に上ったが、その阿弥陀如来像に逢い、そのままお誘いして、昼は善光が如来像を背負い、夜は善光が如来に背負われて信濃に下り、水内郡に安置した。それ以来、・・・・・・) 善光寺から約300m西に湯福(ユブク)神社がある。 社頭の鳥居の前に向って左に「大本願」右に「大勧進」と彫られた石柱が立っている。 祭神は建御名方命(タケミナカタノミコト)荒御霊で、古来より善光寺の氏神・鎮守の神である。 そして、境内には本田善光廟がある。 社 頭 鎮座は詳らかでないが、日本書紀に持統天皇5年(691)に風鎮祭の記録があることから、古くからこの地方の氏神として崇敬されていたことが分る。 拝 殿 建御名方命(タケミナカタノミコト)は大国主命の御子神で信濃国の国土開発に当った。特に当社は大神の荒御霊(積極的、活動的な魂)を祀り、力強い神の働きを持つ。 「湯福」の社名は風の吹く形容から息吹(イブキ)の神の御名がイフクの神、ユブクの神に変わってきたもの。 拝殿前の2本の大欅は樹齢一千年を越えると言われている。 本田善光廟 拝殿の左手前に善光寺開祖本田善光の墓と言われる磐があった。平成20年(2008)廟を建立したもの。 |
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2010年02月21日
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