ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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大垣の中心市街を流れる水門川をぶらぶら歩いた。川岸には芭蕉の句碑が多く建っていた。
松尾芭蕉は、大垣には俳友谷木因(タニボクイン)が住んでいたこともあって、貞享元年(1684)「野ざらし紀行」の旅の途中によったのを始め、元禄4年(1691)までに計4回来垣している。
特に、元禄2年(1689)の秋、世に名高い「奥の細道」の5ヶ月余の旅をここ大垣で終えている。
そう言う関係から「奥の細道むすびの地 大垣」の看板があったり、水門川沿いに「奥の細道むすびの地記念館」や「奥の細道むすびの地碑」があり、「奥の細道むすびの地大垣」を大いに売り出しているようだ。
 
イメージ 1
 
水門川
両岸の桜はまだ4、5分咲きだった。
水門川は大垣を南流し揖斐川に合流する運河で、永禄4年(1561)大垣城主氏家直元が城地改築の際開堀したと伝えられる。
江戸時代には大垣初代藩主戸田氏鉄(ウジカネ)が改修し、この地方の水運の発展に貢献した。
 
 
 
 
イメージ 2
 
住吉燈台・船町港跡
船町港は江戸時代から明治にかけて大垣城下と伊勢を結ぶ運河「水門川」の河港。明治16年(1883)には桑名ー大垣間に蒸気船が就航したが昭和に入ると鉄道の発達に伴い衰退した。
住吉燈台は元禄年間(1688〜1704)前後に建てられたもの。
高さ約8mある。
 
 
 
 
イメージ 3
 
奥の細道むすびの地碑
住吉燈台、船町港跡の対岸に建っていた。
左:松尾芭蕉 右:谷木因
元禄2年(1689)3月27日江戸深川を出立した芭蕉は門人曾良と共に奥州から北陸を経てここ大垣で旅を終えた。
9月6日には俳友の谷木因や近藤如行ら大垣の俳人たちに見送られて伊勢神宮遷宮参拝のため、この船町港から桑名へ見送った。
 
 
イメージ 4右:木因俳句道標
南いせ くわなへ十り ざいがうみ
ここの道標は複製で、本物は近くの「奥の細道むすびの地記念館」に展示したあった。
 
中:蛤塚
蛤の ふたみに別 行秋そ  芭蕉
「奥の細道」むすびの句
 
左:木因白桜塚
                               惜むひげ 剃りたり窓に 夏木立   白桜下(木因)
 
 
露通も このみなと迄出むかひて 美濃の国へと伴ふ
 
駒にたすけられて大垣の庄に入れば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて如行が家に入集る
 
前川子・荊口父子、其外したしき人々 日夜とぶらひて、蘇生のものに あふがごとく 且つよろこび 且ついたはる。
 
旅のものうさも、いまだやまざるは、長月元日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又ふねに乗りて
 
    蛤の ふたみに別れ 行秋ぞ        (松尾芭蕉「おくのほそ道」)  
 

  蛇 足

イメージ 5
駅に戻る途中、大垣城に寄ってみたが、現在平成23年3月4日まで修理工事中で工事用のネットが張られていた。
大垣城の西側には大垣藩初代藩主戸田氏鉄の騎馬像が建っていた。
 
 

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