ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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一宮市へ来た序でに、一宮の名古屋よりの隣、稲沢市に寄った。名鉄「国府宮」の駅名からここら辺りに

尾張国府の名残りがあるのではないかと、極めてアバウトな考えで、名鉄国府宮駅を降りた。

駅近くには、史跡や観光を案内する地図や標識、看板がなく、勿論観光案内所もない。要は手がかりは全

くなかった。

やむをえず(迷惑を承知で)駅員さんにきいたり、市役所や観光案内所などに電話で聞きだしたりして

やっと分った。


イメージ 1 尾張国衙址
名鉄「国府宮駅」から北西に5分ほど歩いた所にある「松下公民館」の右脇に建っていた。
碑だけで礎石とかいったものは一切無く、碑が立っている奥には小さなお社があったのみであった。


国衙址碑から東に向っていくと「赤染衛門歌碑公園」があり、そこに歌碑と衣掛けの松跡碑が並んで建っ

ていた。

赤染衛門は和泉式部と並び称される平安時代の女流歌人だ。大隈守赤染時用(トキモチ)の娘で、父が右衛門尉

であったので赤染衛門と呼ばれた。

彼女は、夫の大江匡衡(マサヒラ)が尾張の国司として赴任に伴い、長保3年(1001)と寛弘6年(1009)の2度稲沢

に下向したと伝えられる。

イメージ 2 歌 碑
国に行きつきたりしに はつ雪のふりしに
はつゆきと おもほへぬかな このたびは 猶ふる里を 思ひいでつつ    匡衡
めずらしき ことはふりすぞ 思ほゆる 行きかへりみる ところなれども   衛門
夫の大江匡衡が2度目の赴任した際、初雪が降り、住み慣れた馴染みの土地である尾張に帰ってきたことを思い出しながら詠んだのを、妻である赤染衛門は今度の旅は再び見る昔馴染みの所ではあるが、初雪はやはり新鮮な気持ちで鑑賞される、と詠んだもの。

イメージ 3 衣掛けの松跡碑
赤染衛門がここに住み、この松に衣をかけたと伝えられる。


やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月をみしかな
                                         赤染衛門



イメージ 4 尾張学校院跡碑
更に東に進み、名鉄線路踏切近くに建っていた。
尾張の国司として赴任した大江匡衡の大きな業績の中で、尾張学校院の再興である。
学校院は儒教の地方への教化と官吏養成や人材登用を目的として国ごとに設置された。


イメージ 5 国府宮社頭
名鉄線路を渡り5分ほど歩くと国府宮があった。
鳥居にかがげ掲げてある扁額には「尾張総社 国府宮」とあった。
国府宮の正式名称は「尾張大国霊神社であり、毎年、旧暦正月13日に行われる裸祭り「儺追神事(ナオイシンジ)」が有名である。


イメージ 6

                            国府宮参道
社頭から楼門までに続く参道の両脇は桜並木となっており桜が満開だった。
4月1日から4月11日稲沢桜祭りが行われている。


イメージ 7 国府宮楼門
室町時代初期の建立で正保3年(1646)解体大修理が行われ、上層を改造した。


イメージ 8 国府宮拝殿
祭神は尾張大国霊神で、農業、商業守護の神、厄除けの神として広く信仰されている。
拝殿は江戸時代初期建立


イメージ 9 「なおいぎれ」奉納柵
「なおいぎれ」は幅2.5cm、長さ25cmの紅白の布でできた御守。
1年間守護していただいた「なおいぎれ」を柵に結んでお返ししてあった。


国府といえば、国衙、総社、国分寺・国分尼寺がセットである。国分寺・国分尼寺の跡も稲沢市にあると

のことだが少し距離があり、且つ地図で確認しておかないと空振りになる恐れがあるので今回は訪ねるの

をやめ、次回の楽しみに残しておくことにした。

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