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あべの筋を北に歩いていると、松虫交差点近くに安倍王子神社があった。 社伝によれば仁徳天皇の創建と伝え、一説にはかって此の地を本拠とした安倍氏の創建とも言われる。 平安時代から熊野詣が盛んになるや、九十九王子の第二王子社として阿倍野王子等称せられ、上皇女院な どを始め、一般参詣客の礼拝休息などの用に充てられ殷賑を極めた。 その後、社運も幾変遷を経て現在に至っている。 当社は大阪府下で唯一の、旧地に現存する王子社だそうである。 社頭(西側) 鳥居に向って左側に、「もと熊野街道」の碑が建っている。 熊野街道は八軒家を起点にして四天王寺、阿倍野王子を経て、和泉の海岸沿いを南下して紀伊に入り、熊野三山へと至った。 鳥居前には「安倍野王子旧蹟」の石柱が立っていた。 鳥居から本殿に向う参道には大きな楠が生えており、ご神木で、大阪市の保存樹でもある。 ご神木には注連縄が張られ、高さ20m近く、幹周り約3m〜約4mある。 昭和42年(1967)竣工 祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊、素盞鳴尊、品陀別尊(ホンダワケノミコト、八幡大神) 品陀別尊は東区安土町に鎮座していた男山八幡神社の祭神で明治40年(1907)合祀したもの。 三熊野権現のお使いである八咫烏を祀る。 社伝によれば、応神天皇の夢に三熊野権現のお使いが現れ「早く祀るべし」と告げた。そこでその場所を探していると、安倍島の松の下に3足の烏がおり、首は雪より白く、目は日より明るかった。そこにお祭りしたのが安倍王子神社の始まりと伝える。 紅白の御幣または絵馬に願い事を記し、御烏尊にお願いすればその願いを熊野の本社まで届けて下さるそうだ。、 葛之葉稲荷大神、末広大神など合計9柱合祀。すべて稲荷大神で宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ) 中の本殿は元禄時代の建物で、木像桧皮葺極彩色 |
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2010年07月24日
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