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JR関西本線平野駅で下車し、南に下ると直ぐに国道25号線にぶつかる。 そこから国道25号線を東に5分ほど歩くと平野の鎮守・杭全(クマタ)神社の社頭に出た。 杭全(クマタ)神社の参道を歩いていると、大楠が参道を覆う様に生えており、参道東脇の伊勢神宮遥拝所近 くに平野環濠跡の碑が建っていた。 杭全神社東側に流れる小川は中世平野郷を囲っていた環濠の 名残りとか。 閑静な境内には、大門、拝殿、本殿が並び、周りには摂社末社が鎮座していた。 杭全(クマタ)神社は9世紀平安時代の初め平野郷の守護神として第1殿が奉祀されたのが始まりという。 12世紀に第3殿が奉祀され、更に14世紀に後醍醐天皇の勅命により第2殿が勧請され、ここに現在の規模が 出来た。 古くは祇園社、熊野権現社と称せられたが、明治3年(1870)杭全(クマタ)神社と改称した。 参道標柱西脇に聳えている大楠木 高さ30m、樹齢は1、000年と言われて、「楠さん」として親しまれている。 鎌倉時代の建物で、杭全神社最古の建物 安政5年(1858)築 平成2年(1990)大改造 拝殿前の左右に鎮座する青銅製の狛犬 足には種々の紐で結ばれている。 この狛犬の足に紐を結んで願を掛け、一本を持ち帰り家出をした人の履物に結んでおけば必ず居所が分るか、家に帰ってくると、言い伝えられる「走人足止め」の祈願の紐。 熊野との強い結びつきを示す八咫烏の図柄
中門・本殿
本殿は現在修理工事中で素屋根に覆われていた第1殿:征夷大将軍坂上田村麿の子広野麿が杭全荘を荘園として賜ってこの地に居を構え、その子当道が 貞観4年(862)氏神として素盞鳴尊を勧請し祇園社を創建したのが始まり。 現在の社殿は正徳元年(1711)春日大社本殿を移築 重文 第2殿:元亨元年(1321)熊野三所権現(伊弉冊尊、速玉男尊、事解男尊)を勧請建立 現在の社殿は永正10年(1513)造営 重文 第3殿:建久元年(1190)熊野信仰の流行するに及び熊野証誠権現(伊弉諾尊)を勧請建立。 現在の社殿は永正10年(1513)造営 重文 高さ18m、幹回り4.8m 樹齢500年以上の銀杏の大木 昔、乳の出が悪くて子供を育てることが出来ない夫婦が願を掛けたところ、乳がよく出る様になって、無事に子供を育てることが出来たと言い伝えられる。 今も乳の出の悪い人や病気を持つ人のお参りが絶えないとのこと。 |
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2010年09月25日
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