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表参道から北野天満宮、京都の人々は「天神さん」、の境内に入る。 天候がよい所為か、結構参拝者が多い、特に外国人の姿が多い。 影向の松の前を過ぎ、楼門、中門(三光門)をくぐると、拝殿の前に来た。 北野天満宮の祭神は天神様即ち菅原道真である。学問の神様で知られ、全国の多くのお社の中でも、最も 人気のある神様だろう。 一年中入試合格を祈る受験生の姿が絶えないが、受験シーズンになれば、受験生の姿が更に多くなる。 いま余裕の祈願だが、梅の花の便りがある頃は真剣な祈りとなる。最後の神頼みだ。
ところで、現在境内を歩いていて仏教的な建物はない。 しかし、江戸時代までは神仏混淆の時代であった。それが日本の宗教の特色であった。 それ故、北野天満宮にも,かっては仏教的建物はあった。 例えば、今手元にある江戸時代の安永9年刊行の「都名所図会」や室町時代の「北野曼荼羅」を見ると、 土塀で囲まれた東南の隅には二層の多宝塔が建っており、本殿の東方に鐘楼がある。 明治初年の神仏分離令により、仏教的建物は破却或いは他へ移転されたのだ。 例えば、上述の多宝塔は破却され、鐘楼は八坂の大雲寺に移され、感神院(八坂神社)の鐘が吊り下がって いる。鐘は正休寺(滋賀県大津市上田上町桐生)に在るそうだ。 したがって、古い社寺といっても、明治初年を境にして全く様相が変わっているのだということを、参考 に持参した古絵図(勿論 印刷物のコピー)との対比から痛烈に感じた。 今出川通りに面して南向きに建つ。 楼 門 天神さんといえば、牛。拝殿前に続く参道の両脇には、寝そべった牛の像が多く安置してあった。 これにさわって頭がよくなるのを祈願すると霊験あらたかと言う。
中門(三光門 )
唐破風の上に千鳥破風をつけ、神額の「天満宮」の金文字も鮮烈。梁間に日輪、月輪、三日月の三光の彫刻があるので「三光門」とも言う。 豊臣秀頼造営、桃山時代を代表する建築として知られる。 重文
拝 殿
背後に権現造の本殿があり、本殿と共に慶長12年(1607)豊臣秀頼が片桐且元を造営奉行にして造営。国宝 |
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2010年10月17日
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