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仁和寺といえば、 は高校時代、古文で学んだ徒然草(吉田兼好)に登場する「ある法師」の滑稽談や方丈記(鴨長明)の「隆暁法印の死者供養」の話を思い出す。 勿論現在と当時とは様相が随分違うだろうが、これらから当時のこの寺の様子の一端が覗えた。 そう思う所為であろうか、初めての参拝にも係わらず何故か懐かしさを覚えながら境内を巡った。 仁和寺は山号を大内山といい、真言宗御室派の総本山である。 平安時代の前期、光孝天皇が創建に着手した後、仁和4年(888)宇多天皇が完成させ、 年号から仁和寺と名付けた。 宇多天皇は退位後、出家して、仁和寺内に僧坊を営み、30年間修行に専心したため法皇の御座する室 (僧坊)ということから「御室」が後に仁和寺周辺の地名となった。 以後明治維新まで約千年間皇子皇孫が門跡として法灯を伝えたが、その間応仁の乱の戦火で全伽藍焼失 し、双岡西麓に仮御所を設けた時期もあった。 現在の伽藍は徳川家光の協力を得て再建されたもので、御所の紫宸殿を移した金堂(国宝)をはじめ御影堂 (ミエドウ)、観音堂、鐘楼、五重塔、経蔵、仁王門(いずれも重文)などは当時の建物である。 平成6年(1994)世界文化遺産に登録された。 五重塔 寛永21年(1644)建立 重文 本尊:大日如来 総高 36.18m 東寺の五重塔と同じく上層から下層にかけて各層の幅にあまり差がない姿が特徴的 広い境内の中で一際高くその姿を見せていた。 寛永〜正保年間(1644〜1648)に建立 重文 釈迦如来、文殊・普賢菩薩などを安置し、壁面には菩薩や羅漢などを描いている。 中央に八面体の輪蔵に、天海による「一切経」が収められている。 寛永18年(1641)〜正保元年(1644)建立 重文 仁和寺伽藍を守る社 社殿は本殿、左殿、右殿の3棟に分れ、八幡神をはじめ、賀茂、日吉など合わせて9坐の明神が祀られている。 又、各殿の正面には寛永21年(1644)建立の織部形石燈籠が建てられている。 寛永18年(1641)〜正保元年(1644)建立 重文 本尊:千手観音菩薩、脇侍:不動明王、降三世明王、その回りに二十八部衆を安置する。 慶長年間(1596〜1615)造営の内裏清涼殿の一部を寛永年間(1624〜1644)再建 弘法大師、仁和寺開山寛平法皇(宇多法皇)、第二世性信親王を安置する。 重文 堀川戻橋が昔、大洪水で流れ、その復旧の時、橋の下より取り出された不動明王像である。 心無き者が悪戯する為仁和寺にに帰りたいとのお告げにより、当山に安置された。 霊験あらたかであるとの事。 殊に諸願成就、幼児の難病平癒に霊験あらたか。 近畿36不動尊 第14番霊場
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2010年10月04日
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