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西国三十三所霊場第33番目札所の華厳寺を参拝するため、JR東海道本線穂積駅からタクシーで北に 向かった。おおよそ40分ほどで、目指す華厳寺に着いた。 華厳寺は、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。 近畿地方では、10月26日に木枯らし1号が吹き、急激に寒さが増したが、当地の紅葉は未だ鑑賞に耐え得 るほどではない。 華厳寺は山号を谷汲山(タニグミサン)と称し、天台宗の寺であり、地元では「谷汲みさん」と呼ばれ親しまれ ている。 開創は延暦17年(798)、開基は豊然(ブネン)上人(開祖)、大口大領(本願)とされる。 奥州会津郡黒河郷(現 会津若松市)の大口大領(オオグチ タイリョウ)が、観音堂を建てようとした。 夢のお告げによって榎の大木を得て、京都の仏師に十一面観音像を彫って貰い、奥州へ帰る途中、美濃の 谷汲村にやって来た。 すると、十一面観音像が、ここが結縁の地だと言って動かなくなった。 大領は、谷汲村で修行していた豊然上人と協力して、山を開き、寺を建て、十一面観音像を安置した。 これが華厳寺の始まりと伝えられる。 寺を建てる時、割った岩から油が湧き出し、その油で観音の灯明を灯したと伝えられる。 これが「谷汲」という地名の由来。そのことを耳にした醍醐天皇が、この寺に「谷汲山」の山号を贈っ た。 門前で大口大領の子孫が蕎麦屋を営んでいて、そこの「満願蕎麦」を食べてくる様にと、Mさんから教え られていたが、つい失念した。 仁王門と大草履 仁王門には大きな草鞋が奉納してあった。 仁王門をくぐると、更に本堂(観音堂)への長い参道が続き、左右に百八基の石灯籠がずらりと並んでいた。 本堂(観音堂)とその外陣 参道の突き当たり、石段を頂きに本堂が建っていた。明治12年(1879)再建 本尊:一面観音(文殊大士作、身の丈2mを越す)、脇侍:不動明王、毘沙門天 正面向拝の左右の柱には「精進落としの鯉」と称する銅製の鯉が打ち付けられている。満願した者は記念にこの鯉に触れる慣わしがあるとか。もっとも、 にはその資格はないのだが・・。
笈摺(オイズル 木綿の白い着物)や草履、金剛杖、菅笠、朱印帳など巡礼者が身に着けていたもの、千羽鶴がこのお堂の中に奉納されていた。 西国三十三所の長い十例の旅を終えて、満願となった人々は、ここですべてを脱ぎ捨て、俗世間に再び戻っていくのだ。
本尊:十一面観音 何故か、周囲に狸の石像が多く置かれていた。
本堂の裏に安置してあった地蔵様。身体に具合の悪いところや、病むところがある人がお地蔵様の同じ部分にお札を水で湿らせて自分の手で貼り付けて祈ると良くなるとのこと。 見ていると、(偶々かも知れないが)祈っていくのは若い女性が多かった。 参道沿いに建っていた。 参道沿いに建っていた。 |
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2010年11月01日
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にはその資格はないのだが・・。


