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近鉄・藤井寺駅で下車し、駅前商店街を5分ほど歩くと目指す葛井寺(フジイデラ:寺の場合は葛井寺、地 名は藤井寺)が建っていた。 葛井寺は、正しくは紫雲山 葛井寺といい、真言宗御室派の寺院である。 日本に漢字をもたらした百済系王仁氏の子孫・葛井(フジイ)氏の氏寺として7世紀に造営された。 神亀2年(725)聖武天皇の勅願により本尊の千手千眼十一面観音が造立され、行基を導師として聖武天皇臨 席の上、開眼供養が行われた。 これにより、開創は神亀2年(725)開基は行基とされている。 平安時代には、阿保親王やその息子・在原業平らが諸堂を造営した。 その後一時荒廃したが、大和の藤井安基(ヤスモト)が伽藍の修築に尽力し「藤井寺」とも呼ばれる。 これが藤の字の藤井寺の地名として残った。 室町時代には兵火や災害により荒廃した。豊臣秀頼による四脚門の寄進はあったが、有力者たちによる寄 進はなかった。しかし、ますます盛んになった大衆による観音信仰により寺運は支えられてきた。 が訪れた時は、平日の真昼間であったが、参詣する人々が三々五々訪れ、真摯なお参りをしていった。往時は金堂、東西両塔を備えた大寺院だったかもしれないが、現在は、藤井寺の街中にあって、千手観音 の無限の慈悲と安らぎを庶民に与える寺だった。 慶長6年(1601)豊臣秀頼建立された旧南大門 重文 天明5年(1785)現南大門建立のため西門として現在地に移す 寛政8年(1796)再建 重文 両脇に仁王像を安置 本堂 安永5年(1776)建立 重文 本尊は千手千眼十一面観音菩薩坐像(国宝 脱活乾漆造 手の数は、大手42本小手1001本あり、我が国仏像として最多数)。 西国三十三所霊場第5番札所
本堂前に立つ山名所縁の石燈籠(レプリカ)。 花山法皇参拝の際、本尊の眉間から香の煙が出、境内の聖武天皇の寄贈の石灯籠にまでたなびいたと言う故事により山号を「紫雲山」と名付けられた。 本物は傷みが激しいので裏庭にて管理されている。 旗掛けの松は、楠木正成が出陣にあたり、正行ら3人の息子に一致団結を誓わせたと伝わる。この松葉を持つと、力が付くと信じられている。 大師堂は弘法大師を祀る。 享保7年(1722)建立 明和2年(1765)現在地に移築 護摩堂の近くにある井戸 弘法大師手掘りと伝えらる。 眼の治療と心を開かせ開眼させる水として有名 |
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2010年11月10日
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が訪れた時は、平日の真昼間であったが、参詣する人々が三々五々訪れ、真摯なお参りをしていった。

