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JR赤穂線「坂越(サコシ)」で下車した。 坂越(サコシ)は西に千種川が流れ、東側は坂越浦に面しているため廻船で発展し、播州赤穂藩の商業の中心 として繁栄した。 その名残りの古い町並みー都市景観大賞に選ばれたことがあるーがあるとのことだったので、訪れた。 坂越駅から東に歩くと程なくして千種川に出た。堤を北、即ち上流側に歩き、最初の橋「旧坂越橋」を渡 る。渡った先に「高瀬舟船場跡」の標柱が建っていた。ここから東に下りてゆくと坂越の大道に続き、坂 越の町並みを通り抜け坂越浦にでる。 道は綺麗な化粧敷石が敷かれ、めぼしい建物や旧蹟には説明や案内が表示されていたので、非常に分りや すかった。 この辺りが文化文政頃(1804〜1830)から坂越村の河川輸送船の発着場だった。 昔はここに門があり、門番がいて坂越の守りに当った。 高さ約2m、幅約4mの復元した門がモニュメントとして建てられていた。 平成7年(1995)復元 広場の前に道標があった。 「右大阪 左城下」と読める。 木戸門跡広場跡から坂越浦海岸まで古い町並みが続く 途中、町並みに混じって山門が建っていた。 光明山妙道寺、浄土真宗本願寺派の寺で享禄5年(1532)開基 門の上にある大亀などの彫刻は見事 本尊は阿弥陀如来(木造) 寛永9年(1632)高砂沖で魚網にかかったものを奥藤又次郎が譲り受け本堂に安置したと伝えられる。 奥藤銀行として親しまれていた建屋を、坂越の町並み景観創造の活動拠点として平成6年(1994)修景整備。 塩が政府の専売となった明治時代、それまでの船主は廻船の仕事をやめ、銀行業を開始した。 旧奥藤銀行もそのひとつ。 建築意匠を変えず、外観、屋根などの補修整備にとどめた建物は昔ながらの風情たっぷり。 |
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2010年11月15日
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