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夏四月の丙寅の朔戊辰の日に 皇太子 みずから初めて憲法十七条を作る 一に曰く、和を以て貴しと為し さかふることを無きを宗とせよ・・・・・ 二に曰く、篤く三宝を敬え 三宝とは仏・法・僧なり 即四生の終帰 万国の極宗なり はなはだ悪しきものは少なし よく教えうるをもって従う それ三宝に帰りまつらずんば
何をもって柱かる直さん (「日本書紀」豊御食炊屋姫天皇 推古天皇12年)
叡福寺は聖徳太子の御廟を守護する寺とあって、我が国の真言宗の祖弘法大師空海をはじめ、浄土真宗の親鸞、融通念仏の良忍、時宗の一遍、日蓮宗の日蓮、浄土宗の西山上人證空などの名僧たちが次々と参籠 したという。 境内の堂宇を巡っていると、弘法大師堂、見真大師堂というお堂があったのは、宗派を越えて太子を崇拝 し帰依しようという太子信仰が活発であった名残りであろう。 境 内 南大門附近から東側を眺めた境内、客殿、念仏堂と並び、その先(北方向)に弘法大師堂、見真大師堂、経蔵などが建っていた。 天正年間(1573〜1592)河内国高屋城が陥落した際の古木を用いて建てられた。 2軒続きの大部屋四室に応接間もある。 本尊は信州善光寺如来を模して造られた阿弥陀如来像、脇侍は観音・勢至菩薩。 善光寺48願所中の第13番札所。 本尊は弘法大師(60歳)像 弘法大師が自ら三鈷をもって刻まれたと伝えられる。 胎内には八相相承(釈迦八相)の仏舎利が納められている。 明治45年(1912)建立、本尊は親鸞の坐像 親鸞が88歳で参籠した時、自らこの像を刻んで遺したという。 因みに、見真大師とは浄土真宗開祖親鸞のこと。 東西両本願寺が幕末の朝廷及び明治政府に大師号をもらおうと働きかけ、明治9年(1876)見真大師号が宣下されたもの。 「親鸞は念仏弾圧による流罪も経験した民衆宗教の開祖。朝廷から栄誉を受ける立場になかった」との意見が現在の教団内部にあるそうだ。 六角形の建物で、多くの写経が納められている。 |
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2010年11月23日
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