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大徳寺には24の塔頭があり、その境内は塔頭が占めていると言っても過言で無い。 境内には塔頭が整然と並んで居る。その塔頭の夫々の門をを覗いて見ると、入口の庭はどこも綺麗に掃き 清められ、草木はよく手入れがなされ、露地風に飛び石が置かれている庭もあり、日本の美はすべてこの 大徳寺に結集しているのではないかと思うくらいである。 大徳寺境内の塔頭寺院の一部を北から南へと順に覗いて行った。
芳春院
慶長13年(1608)加賀の前田利家の夫人・芳春院が玉室宗園を開祖として創建。前田家の菩提所。境内の一番北に位置する。火災に遭い、現在の本堂は明治初年に建てられたもの。 大仙院 大徳寺北派の本庵。永正6年(1509)六角政頼が古嶽宗旦(政頼の子、大徳寺76世住職)を開祖として創建。 室町時代を代表する枯山水の庭園ー白砂で流れを表し、鶴・亀・宝船を模した石を配したーはすばらしい。 永享年間(1492〜1441)一休禅師(宗純)を開祖として創建というが、事実は弟子がその徳を慕って開創したもので、一休禅師が実際に住んだ訳ではない。 応仁の乱で焼失し、延徳3年(1492)堺の豪商・尾和宗臨によって再建。方丈の庭園(石組の配置から七五三の庭と呼ばれる)、南庭、及び通僊院庭園などがる、と言ったことが門前の説明板に記してあった。 説明板には記されていなかったが、案内書などによれば、紫式部の産湯井があるそうだ。 残念なことに、何時来ても非公開だ。 織田信長廟所 門はがっちりした扉で閉められていた。 豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔う為古渓宗陳を開祖として創建。 門、土塀、鐘楼(掘久太郎秀政の寄進)は天正11年(1583)の建立当時のもの。 天正13年(1515)大茶会をここの方丈で催した。 信長の遺骨は本能寺が焼けたため残ってなかったので、仏師康清に信長の木造を2体造らせ、1体は荼毘に付し、残りの1体は総見院の本堂に安置した。 永禄9年(1566)三好義嗣(ヨシツグ)が三好長慶(ナガヨシ)の菩提を弔う為創建。 千利休の墓をはじめ茶道3千家歴代の墓がある。 天正17年(1589)春屋宗園を開祖として創建。 石田三成の墓がある。 大永年間(1521〜1528)能登の畠山義総が小渓紹怤(仏智大通禅師)を開祖として創建。 大徳寺南派の本庵。 文亀2年(1502)東渓宗牧(大燈国師の8世の法孫)を開祖として、畠山氏、大友氏、大内氏が創建。 本堂は大仙院と共に最古の禅宗方丈建築のひとつとされる。 方丈に因んで、四つの庭園があり、土塀を背景に飾り気のない枯山水の竜の吟庭、白砂と苔庭の対比が美しい一枝坦など表情の違う庭園が残る。 永禄6年(1563)春林宗徹を開祖として創建。 天正16年(1588)大徳寺塔頭となる。 毛利家菩提寺として今日に至る。 養徳院 足利義詮(足利義満の弟)が先室のために建立した妙雲院を起こりとする。 はじめ東山祇園の地にあったが、義満の死後、大徳寺の境内に移し、義詮の法号・養徳院に因んで寺名とした。 南門の近くにあり、木々の根元の苔が美しかった。 |
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2010年11月07日
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