ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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これやきく 雲の林の 寺ならむ 花を尋ねる 心やすめむ
                                           西行「聞書集」

大徳寺南門から北大路通りに出る。南側に渡ってからほんの少し東に行くと「雲林院」が建っていた。

雲林院は淳和天皇(在位823〜833)の離宮であった「紫野院」を,常康親王(仁明天皇皇子)の時「雲林院」

と称した。 常康親王没後の貞観11年(869)僧正遍照を招き、仏寺に改めた。

その後、堂宇の造営や造仏が相次ぎ、桜の名所となり、また菩提講(法華経を唱えながら来世の極楽浄土

を願う観世音菩薩信仰の宗教行事)でも有名だったらしく、雲林院の名は古典文学に度々登場する。

例えば、歴史物語「大鏡」では、ここの菩提講で落ち合った老人の昔物語と言う趣向で展開する。

さいつ頃 雲林院の菩提講にまいりでてはべりしかば 例の人よりはこよなう年老い うたてげなる

翁二人嫗といきあひて 同じところに居ぬめり・・・(著者不詳「大鏡」)

また、「源氏物語」では、光源氏が逢ってくれない藤壺の態度が辛くて、伯父に当る律師(桐壺更衣の兄)

がいる雲林院に籠もる(「賢木(サカキ)」の巻)筋となっている。

・・・秋野のも  見たまひがてら 雲林院に まうでたまへり 故母御息所の御兄の律師の

 こもりたまへる坊・・・(紫式部「源氏物語」賢木)

「枕草子」では、加茂祭の還立を見物するために朝早くから、雲林院あたりに物見車が立ち並ぶ描写があ

る。  また、「伊勢物語」、「今昔物語」にも雲林院の名が登場するそうだ。

それに、「古今和歌集」以下歌枕としても有名だった。

時代は下るが、摂津国芦屋の住人在原公光が、在原業平と二条后が雲林院で「伊勢物語」を持って 桜

の木陰で佇んでいるのを夢見て、実際に雲林院を訪れ昔を偲ぶという筋の謡曲「雲林院」もある。

雲林院はその後衰退し、14世紀始め大徳寺の創建により、敷地の多くは施入し、子院となったが、応仁の

乱で焼失し、廃絶した。

現在の雲林院は寛永4年(1707)寺名を踏襲して大徳寺の塔頭として建てられたもので、めぼしい堂宇とし

ては観音堂のみであった。

この後、雲林院から360mほど東、堀川通り西側にある紫式部の墓に墓参して帰った。


イメージ 1表 門


イメージ 2観音堂
宝永4年(1707)再建
十一面観世音菩薩像と大徳寺開山大燈国師像を安置している。

因みに、上述の僧正遍照は歌人としても知られており、百人一首にも採用されている。
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
                                           僧正遍照

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