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西本宮から東本宮に向った。途中神輿収蔵館があるが、その前に境内の中の一本の大木の根元に祀られて いる「忍耐地蔵」を参拝。少しでも忍耐力を頂こうと手を合わせた。 神輿収蔵館には重文の7基の神輿が展示してあった。 日吉大社の神輿は「日吉山王神輿」とも呼ばれ、全国神輿のルーツだそうだ。 延暦10年(791)桓武天皇が西本宮と東本宮の神輿を寄進したことが始まりで、以後順次他宮の神輿も作ら れ永久3年(1115)7基揃ったという。 院政時代の頃から、延暦寺の荒ぶる衆徒が、事あるごとに神輿を担いで都に乱入し、朝廷や権門相手に強 訴を及び、朝廷が手を焼いたことは有名だ。 かの白河法皇も「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」(「平家物語」)と言わ しめたほどで、平安から室町にわたっての370余年の間に40数回の上洛強訴が行われた。 その平安時代の神輿は、元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちで焼失し、現在のものは桃山時代 の作で重要文化財である。日吉大社には14基の神輿が現存するとのこと。 多分石造地蔵尊と思われる石が木の幹に包み込まれていた。 忍耐地蔵と呼ぶ理由が分った。 普通ならば神社の境内に地蔵様が祀られているのは不思議な気がする筈だが、ここでは極自然に思われた。
山王神輿
西本宮神輿(左)と東本宮神輿(右) 他の5基を含め全7基は夫々形、姿を異にするが、いずれもで、桃山・江戸初期の最高の金工技術による金銅装が施され、古色を帯びているが華麗だ。 |
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2010年12月07日
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