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当麻寺北門から蔵などを持つ旧家が並ぶ当麻の里を歩く。 途中中将姫の墓があるがそれを過ごして先を急ぐ、15分ほど歩くと人家もまばらになってきた。 そこに中将姫所縁の井戸と桜があるという石光寺が建っていた。 石光寺は山号を慈雲山といい、浄土宗の寺である。 開山当初は三論宗だが、鎌倉時代に真言宗に変わり、更に浄土宗に転じたという。 天智天皇の時代 この地に光を放つ3つの石があり、そこから弥勒三尊の石仏が現れた。 そこで天皇の勅願によって堂宇が建立され、石光寺の名を賜って、役行者が開山したという。 境内には500種3000株といわれる牡丹が植えられており、4月下旬から5月上旬には絢爛豪華に咲くと言わ れるが、今は枯れ茎を残しているだけだ。 境内のほぼ中央の覆屋の中に、中将姫の像と共に、中将姫所縁の井戸「染の井」と「糸掛け桜」があっ た。 霊感を得た中将姫は蓮茎を集めて糸を撚り出した。そして、この井戸で洗い清めた。 それを役行者が植えたと伝わる傍らの桜の木に掛けて干した。 すると、乾くにつれて五色に染まった。 この糸で一人の化尼の助けで一夜の内に阿弥陀浄土図(當麻曼荼羅)を織り上げたという。 それ故、井戸を「染の井」、桜の木を「糸掛け桜」と呼ばれる様になったと伝わる。 門をくぐると目の前に頂部が方形になっている砂山と丸くなっている砂山が対になって作られている。 方形は俗世を表し、円形は悟りの世界を表しているそうだ。 本 堂 境内の隅に置かれてあった。 奈良時代前期のものと言われ、当時は大きな塔が建っていたのだろうか 染の井、糸掛け桜 左のガラスケースに入っている枯株が糸掛け桜、中将姫像の前に井戸があり、それが染の井 寺に着いてからも私の気分を支配していたのはこの美しい尼の伝説である。 生身の弥陀をこの肉眼で見たい、―それが信仰に燃ゆるこの若い心の赤熱した祈願であった。 その前には生身の弥陀も ついに現われずにはいなかった。 一人の見知らぬ比丘尼が彼女の側に立って、百駄の蓮茎を注文し、自ら蓮糸をとった。 天女のような一人の美女が、その蓮糸から美しい曼荼羅を織り出した。 晩の八時から明け方の四時まで、燈火は油にひたした藁束であった。 織りあがると美女は立ち去った。 比丘尼は画像の深義を説いて聞かせた。 一体あなたはどこのどなたでいらせられますかと不思議そうに姫は聞く。 その答えに、わたしがこの極楽世界の教主、これを織ったのが弟子の観世音、お身の心のふびんさに 慰めに来ました。 それは夢見る心の幻想である。 大切にしまってある原本曼荼羅を調べると、麻糸と絹糸の綴れ織りであったという。 すなはち蓮糸で織ったということは嘘なのである。 しかし、蓮糸で布が織れるものでないということは、昔の人にも明らかなことであったろう。 蓮糸でなくてはならないのは幻想の要求である。 蓮糸で織ったことが嘘であってもこの幻想の力は失せない。 (和辻哲郎「古寺巡礼」当麻の寺ー中将姫伝説) |
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2011年10月14日
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