ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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磐姫皇后(磐之媛命陵) 天皇を思ひて作らす歌四首
君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ
かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 岩根しまきる 死なましものを
ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我が黒髪に 霜の置くまで
秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ
                                                  「万葉集」巻2-85〜88


海龍王寺の前の道を北に向かって歩くと10分位で航空自衛隊幹部候補生学校がある。

校庭には自衛隊機の数機展示してある。入ってみたいが許してもらえそうも無いので諦め左手に曲がりフ

ェンスに沿ってなお北に向かって歩くと、左手に磐之媛命(イワノヒメノミコト)陵があった。

全長219mの巨大な前方後円墳で、水を湛えた濠が廻らされている。

大きな古墳は何処でも同じだが、墳丘は木々が青々と茂り、小山のようだ。

磐之媛命(イワノヒメノミコト)は葛城襲津彦の娘で、第16代天皇の仁徳天皇の妃、履中天皇(第17代)、

反正天皇(第18代)、允恭天皇(第19代)の母である。

磐之媛命は大変嫉妬深い女性であったようだ。「古事記」では「その大后、石之日売の命(磐之媛命)、

いたく嫉妬(ウハナリ ネタミ)したまひき。かれ、天皇の使わせる妾は、宮の中をさえ臨まず。言立てば、

足もあかかに嫉みたまひき」(大変嫉妬深い人で、天皇付きの侍女は窺い見も出来ず、何か言った

りすると地団駄ふむばかりに嫉妬なさった)と記している。

また、磐之媛命は、熊野に行っていた留守中に、天皇が新たに八田皇女を宮中に召し入れたのを知って

激怒し、難波宮から山城筒城宮(現在 京都府田辺市)に移り、天皇自ら迎に行ったのをも拒み、

5年後の仁徳35年(347)同地で崩じたという。

このような事から、「記紀」では嫉妬深い女性として記されているが、万葉集には「相聞」の部に冒頭の

歌4首載せられて、仁徳天皇を思う気持ちが赤裸々に表現されている。

それほど仁徳天皇を愛していたと言うことであろうか。


イメージ 1磐之媛命(イワノヒメノミコト)陵
平城坂上陵(ナラノサカノウエノミササギ)


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