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一条通りを東に向かって歩いていると正面に東大寺の転害門に突き当たった。 三間一戸八脚門で、基壇高さを除く門の高さは10.64mの堂々とした門で、西に向かって凛として建ってい た。 大仏殿から吉祥の方向である西北に建つことから、、「害を転ずる」との意から「転害門」と呼ばれる。 また、もと佐保路と言われた平城京一条大路に西面にして建立されたので「佐保路門」とも呼ばれた。 また、源頼朝を暗殺しようとして平景清が潜んだという伝説から「景清門」とも言うそうだ。 この門は、治承4年(1180)平重衡の焼き討ちや永禄10年(1567)三好・松永の合戦による焼失を免れ、 鎌倉時代の改修を受けているが、東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構である(国宝)。 この門は、当時鎮守八幡宮(手向山八幡宮)の祭礼が行われて、遷座の場所となり重要視されてきた。 基壇中央には神輿安置の小礎4個が据えられ、天井も格天井に改められ、現在も川上町の有志により大注 連縄が中央2柱に懸けられている。 京街道に面しているため、平安時代末期から民家が立ち並び、中世以降には東大寺郷の一つである転害門 郷(手貝郷)が生まれ、江戸時代には旅宿として発展した、とのこと。 転害門 転害門を南に下ると「史跡 東大寺旧境内」の標柱と共に、「西大門跡」碑や礎石、一里塚などがあり かっての広大な東大寺の西端だったことが改めて感じられた。 |
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2011年10月31日
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