|
中日も過ぎた天気の良い日、当麻寺参拝に出かけた。 信仰の徒ではないが、古社寺参拝を半ば趣味になった にとって、中将姫の伝説に彩られた当麻寺は興味がある。 近鉄「当麻寺」駅に着いたのは、11時少し前だった。一緒に下りたのは数名に過ぎない。 服装からすると、参拝と言うより、当麻寺西の背後に聳える二上山を巡るハイキングのようだ。 駅の改札口を出て、すぐに当麻寺参道に折れる。 角には「中将餅」を売る中将堂本舗の店があり、早速中将姫の名が出てくる。 この参道の途中に当麻蹶速(タイマノケハヤ)の塚があり、塚の向かいに相撲館「けはや座」が建っていた。 当麻蹶速が野見宿禰と勝負したのが相撲の始まりとされることを記念したものらしい。 他に、石仏、庚申塚、自然石の道標等があり、また、旧家と思われる建屋が並び門前町の面影が残る。 この参道を10分ほど歩くと、当麻寺仁王門前に着いた。 創業昭和4年(1929) 餡を載せた蓬餅 鳥居の奥に五輪塔 「日本書紀」によれば、大和国当麻に強力を誇る蹶速(ケハヤ)がいた。彼が勝負を欲していると聞いた垂仁天皇が、これまた強力を噂される出雲国の野見宿禰を召し寄せ、相撲をさせた。 互いに蹴り合い、蹶速は腰の踏み折られて死んだ。これが相撲の始まりとされる。 七年の秋七月の己巳の朔乙亥(7日)に左右奏してもうさく、 「當麻邑に勇みこはきひと有り、當摩蹶速(タイマノケハヤ)といふ。其の人となり力強くしてよく角を毀き 鉤を申ぶ。つねに衆中に語りていはく 『四方に求むに あに我が力に比ぶ者有らむや。如何にして強力者に遭ひて、死生をいはずして ひたぶるに力を比べせむ』という」ともうす。 (垂仁)天皇聞こし召して、群卿に詔してのたまはく「朕聞けり、當摩蹶速は天下の力士なりと。 若し、此に比ぶ人有らむや」とのたまふ。 一の臣進みてもうさく、「出雲国に勇士有り、野見宿禰といふ。試みに是の人を召して蹶速に あはせむと欲ふ。」とまうす。 即日 倭直(ヤマトノアタヒ)の祖長尾市を遣わして 野見宿禰を召す。是に野見宿禰出雲より至れり。 すなはち當摩蹶速と野見宿禰と角力とらしむ。 二人相対ひて立つ。各足を挙げて相踏む。則ち當摩蹶速が脇骨を踏みさく、亦其腰を踏み挫きて 殺しつ。故、當摩蹶速の地をとりて ことごとくに野見宿禰に賜ふ。 (「日本書紀」第六 垂仁天皇) 当麻蹶速の塚の隣のお堂に安置してある。 ほとんどの旧家の玄関には注連縄が取り付けたままになっていた。 道行く人に聞いてみたが理由は不明。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2011年10月07日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]
にとって、中将姫の伝説に彩られた当麻寺は興味


