|
JR山科駅で京都市営地下鉄に乗り換え、三つ目の小野駅で下車した。 小野駅から東に5分ほど歩くと隨心院が建っていた。石垣を土台に五筋の定規筋の塀が廻らされ、門跡寺 院の格式を示している。 隨心院は真言宗善通寺派の大本山で、正暦8年(991)弘法大師の8代目の弟子・仁海(ニンカイ)僧正が創建し た。 もとの名を牛皮山曼荼羅寺と言う。 その名は、ある夜亡き母が牛に生まれ変わっている夢を見た仁海僧正が、その牛を探し求めて世話を 尽くしたものの、まもなく死んだ為、悲しんでその牛の皮に両曼荼羅の尊像を描いて本尊としたことに 由来する。 その後、第五世増俊が曼荼羅寺の塔頭として隨心院を建立し、寛喜元年(1229)後堀川天皇より門跡の宣旨 を受け、門跡寺院となった。 しかし、応仁の乱で焼失し衰退した。 慶長4年(1599)再建され、以後九条、二条両宮家から門跡を迎えるようになった。 この辺りは小野郷であることや、小野小町邸宅跡の伝承があることから「小野門跡」とも呼ばれるそう だ。 奈良街道に面して建つ。 訪れた時開かれていた「手ずくり市」や 3月27日催される「はねず踊り」の旗が立っていた。 参道の梅は満開だったが、梅林は3分咲きだった。 参道の突き当たりの左側には鋲打ちの長屋門。 まるで大名屋敷か城の一画に迷い込んだようだ。 立ち入り禁止になっていたが、ここから表玄関・書院に入る。 建物、庭園の拝観はここから入る。
本堂と本堂前の庭
本堂は慶長4年(1599)再建されたもの。横一列に仏像が並んでいた。ただし、縁からと遠くから拝することができた。 左から、開山仁海僧正坐像(江戸)、弘法大師坐像(江戸)、不動明王像(平安後期)、 阿弥陀如来坐像(平安後期、定朝作と言われ 重文)、 本尊如意輪観音坐像(鎌倉)、 金剛薩埵坐像(鎌倉 快慶作 重文)、薬師如来坐像(平安後期) 釈迦三尊像(普賢菩薩像:平安後期、釈迦如来坐像:室町、文殊菩薩像:南北朝) 本堂正面には池泉式の庭園となっていたが横は大杉苔の庭となっていた。
本堂から見る大杉苔の庭
冬の所為か、苔は少し褐色になっていた。6月にもなれば青々としたものになることだろう。背後の建物は、表書院、能の間。 表書院、奥書院では、四季花鳥図、四愛図、宮廷人物図、竹虎図、などの襖絵を見ることが出来た。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2011年03月14日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



